スタッフ情報とインタビューから明かす
ファイアーエムブレムの歴史


このページでは、ファイアーエムブレム作品がどのように作られていったのかという、FEシリーズの歴史を辿っていきます。
これを見れば、14(+1)作にわたるファイアーエムブレム作品の制作の経緯や、その間に起こった出来事について詳しく知ることができるでしょう。 作成にあたっては、エンディングで見られるスタッフロールの情報や、攻略本や雑誌のスタッフインタビューを可能な限り調べましたので、
それなりに信憑性のある内容になっているかと思います。
また、先日発売された公式インタビュー集『メイキングオブファイアーエムブレム(徳間書店)』からも、多くの情報を得ています。

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ファイアーエムブレム
制作スタッフデータ


スタッフインタビュー一覧

スタッフ情報とインタビューについてはこれらのページにまとめてありますので、
さらに詳しく知りたい方はこちらもどうぞ。

目次
以下では、インタビューから情報を得ている箇所は、(参照:封印・任天堂)のように作品と掲載メディアを記載しました。また、大量のインタビューを収録した書籍『メイキングオブファイアーエムブレム(徳間書店)』は、(参照:MFE)と表記しています。
ファミコンウォーズについては、シェループさんのサイトのスタッフ情報を参考にさせていただきました。
また、 Karusさんには加賀氏についての情報を寄せていただきました。
この場を借りてお礼を申し上げたいと思います。


ファイアーエムブレムの歴史:概要


FEの誕生

まずは概要として、FEシリーズの誕生から現在に至るまでの過程を追ってみよう。
シリーズ第一作『暗黒竜と光の剣』は1990年、ファミリーコンピュータ用ソフトとして発売された。
発売したのは任天堂であるが、制作にはインテリジェントシステムズ(以下イズと略す)という会社が主に関わっており、これはシリーズ全作を通して同じである。
FEの企画自体は、自社制作のソフト展開を考えていたイズに対して、外部の人間であった加賀昭三氏が持ち込んだもののようだ(参照:MFE p.263, 347)。
この加賀昭三という人物は、後にイズを退社し、FEシリーズ制作からは離れることになるが、
『トラキア776』までは一貫して制作スタッフのトップを務めており、「FEの生みの親」と呼ばれていた。
加賀氏は離脱後に独自にゲームを制作し、それが元のイズや任天堂との裁判にまで発展する軋轢を生んだ。
このことは下で詳しく解説するが、こうした経緯のため、FEの公式インタビュー集『メイキングオブFE』では、加賀氏の名前は一切伏せられている。
この加賀氏をトップに据えて制作されたのが『暗黒竜』である。
制作状況について加賀氏は、「同人ソフトに近いもの」と語っているが(参照:聖戦・TREASURE)、
これはおそらくスタッフの少なさや、アルバイトが多い環境をこう呼んだのであって、作品自体はイズや任天堂の監督を受けた正式なものであり、CMなどにより本格的に広告展開もされている。
なのでこの発言を、FEはもともと同人ゲームだった、という意味でとらえないよう気をつけたい。

シリーズの展開と加賀氏の離脱

さて、加賀氏の下でFEシリーズは『暗黒竜と光の剣』『外伝(1992)』『紋章の謎(1993)』『聖戦の系譜(1996)』『トラキア776(1999)』まで発売され、さらにスーパーファミコンの衛星データ受信サービスであるサテラビューにおいて、『アカネイア戦記(1997)』も配信された。
この間は一見して調子よくシリーズ作品が出されていたように見えるが、実際はそうではなかったことがわかっている。
まず、この時期にはスタッフの大量離脱があった。『外伝』、『紋章』、『聖戦』それぞれの作品の後にはスタッフが大きく入れ替わっており、特にプログラマーは毎回ほぼ新顔になっている。
これは、これ以後のFEを作っているスタッフは、『聖戦』までの作品にはほとんど関わっていないということでもある。
樋口雅大氏が『聖戦』からなのを除き、堀川将之氏とワダサチコ氏や、ベテランプログラマーの山元氏、河口氏、日野氏、金子氏も『トラキア』からの参加である。
唯一この時期から参加しているのは音楽の辻横由佳氏と、シリーズプロデューサーを務める成広通氏であるが、
成広氏は『暗黒竜』ではアドバイスなど補助的な役割、『外伝』はほぼ関与なしで、『紋章』でメインプログラマーを務めたことで、シリーズへ本格的に関わるようになった。
もう一つの困難は、『聖戦』発売までの経緯である。加賀氏はインタビューで、この作品はもともとFEシリーズとして考えられていたものではなかったと発言しているが(参照:聖戦・ファンSpecial)、
樋口氏はそれが、『聖剣エルムガイザー』ないし『ソードエムブレム』というタイトルだったと明かしている(参照:MFE p.38-39)。
成広氏はこの時を振り返って、「前は、完成品3本分くらいつくってましたね」と述べているので(参照:封印・イトイ新聞)、『聖戦』の開発がいかに難航していたかがわかるだろう。

GBA3作から新紋章まで

上に述べたように、『トラキア』の発売直前に加賀氏が退社し、FEスタッフはトップを欠いた状態となった(参照:MFE p.43)。
加賀氏に追随したスタッフも2、3名いるようだが、他のメンバーはほぼ残っており、『ファイアーエムブレム64』や『ファイアーエムブレム 暗闇の巫女』の制作を行っていた。
この『暗闇の巫女』は後に『封印の剣』となって2002年に発売されるが、初期のものは『封印』とは全く別物だったようだ。
こうしたことからわかるのは、トップが抜けはしてもFEシリーズが一旦頓挫したわけではなく、スタッフはずっと次回作を作っていたということである。

『封印』の後には『烈火の剣(2003)』がほぼ同じスタッフによって制作されたが、そのスタッフは今度はゲームキューブにハードを移して『蒼炎の軌跡(2005)』にとりかかることになった。
実際には『蒼炎』より先に『聖魔の光石(2004)』が発売されたが、これはカプコンの岡本吉起氏の企画によるもので、『聖魔』には多くの外部スタッフが参加しており、『蒼炎』とほぼ同時進行で制作されていたようだ(参照:MFE p.279)。
『聖魔』のスタッフを見ると、カービィの鏡の大迷宮やドロッチェ団を制作したフラッグシップ所属の人物が数多く関わっているので、本作はイズとフラッグシップの共同制作の作品だと見ていいだろう(参照:聖魔・スタッフ一覧)。
『蒼炎』で据え置きハードに返り咲いたFEシリーズは、続いてWiiで『暁の女神(2007)』を発売したが、その後は再び携帯機のニンテンドーDSで『新・暗黒竜と光の剣(2008)』『新・紋章の謎(2010)』をリリースした。
ここに至るまでに目立った変化は見られないが、次回作の『覚醒』でFEシリーズは大きな転機を迎えることになる。

「覚醒」:FEシリーズの大転換

3DSで発売された『覚醒(2012)』と『if(2015)』で、FEシリーズは大きく変容した。詳しくは以下の項で述べるので、ここでは簡単にまとめよう。
まずはスタッフの世代交代がある。『トラキア』〜『新紋章』までのスタッフのうち、堀川氏や樋口氏、樋口氏は本作でも継続しているが、主にグラフィックやサウンドのスタッフが入れ替わり、新しい人材が参加するようになった。
さらに、否が応でもシリーズの転換が必要とされていた当時の状況がインタビューなどで語られている。
それによると、売り上げが落ちているため、『新紋章』の次回作が一定数売れないと、FEシリーズは終了させるという通達があったという(参照:覚醒・ニンドリ2013)。
こうした状況下で大転換を図ったのが『覚醒』であり、その売り上げがきわめて好調だったため、無事シリーズの存続が決定し、同一路線で『if』が制作された。
こうして現在に至るのだが、発表されて以来しばらく音沙汰がなかった『幻影異聞録♯FE』の発売も間もなく迎えており、FEシリーズ自体はまだまだ続いていくことだろう。


FEの制作会社:インテリジェントシステムズと任天堂


インテリジェントシステムズについて

FEの制作をしているのは、インテリジェントシステムズという会社である。
1985年設立のこの会社は、設立以前から任天堂と付き合いがあり、任天堂がファミコンを開発するにあたり、技術的なサポートを行っていた。
最初はバックアップ的な業務のみを行っていたが、『ファミコンウォーズ』制作後にイズ側からもソフトの企画を出してみようと考え、加賀氏の企画を用いて制作したのが『暗黒竜と光の剣』である。
初期は京都の「今出川ラボ」というマンションの一室が開発室で、近隣の同志社大学の学生(成広氏など)からアルバイトを募っていたらしい(参照:MFE p.261-262)。
スタッフは開発をしながら学校へも行き、同志社大学が京田辺キャンパスを開校した際は、そちらにもイズの開発室を設けていた(参照:MFE p.348)。
その後は、東山や小倉の任天堂社屋を借りて開発を行っていたようであり、この距離的な近さが、FEの制作の際にも緊密な連携を可能にしたと語られている(参照:烈火・ニンドリ)。

任天堂はFEにどう関わっているのか?

イズと任天堂が親密な関係にあることはわかったが、では任天堂は、FE作品のどの部分に関与しているのか。これは気になるところだろう。
最初に言いたいのは、任天堂は売る側だとはいえ、「作品の質を考えるイズVS売り上げを考える任天堂」あるいは「FEらしさを守るイズVS変化を迫る任天堂」のような対立図式には決してなっていないということである。
たとえば、『封印』の際には任天堂広報の武久氏が、イズの成広氏が新しいファン層を開拓しようとしているが、それでFEの雰囲気が変わってしまってはいけない、
「任天堂としては、これまでのファンも守りたいし新しい開拓もしたい」という姿勢で議論を重ねたと語っている(参照:封印・イトイ新聞)。
これなどは、むしろFEらしさを守ろうとしているのは任天堂の側であることがわかるだろう。イズにとってFEが大事なのと同じくらい、任天堂にとってもFEは大事なようだ。
一方で『新紋章』のカジュアルモードは任天堂側の提案だが、新システムを提示するだけではなく、
『烈火』の軍師の登場を全編に延長する、『覚醒』の際の結婚システムに対し、結婚から子世代の登場までの時間差を無くすなど、細かな提案も出しているようだ。
任天堂には「節目ごとに確認してもらってアイデアなど意見を頂いています」と成広氏は述べているが(参照:烈火・ニンドリ)、
FEに関しては、イズと任天堂は対等の立場で議論をしながら制作を進めているといえるだろう。


歴代FE作品の売り上げデータ


次に、気になる人も多いであろうFEの各作品の売り上げをまとめてみよう。
以下の数値は公式資料およびゲーム統計資料に基づいたものである。

暗黒竜外伝紋章聖戦トラキア封印烈火
32.9万32.5万77.6万49.8万14.7万38.4万27.0万
聖魔蒼炎新暗黒竜新紋章覚醒if
25.5万17.1万17.8万27.5万27.6万46.9万
(193万)
78万
(184万)


データの出典は、『聖戦』までの4作品は後述の裁判の際に任天堂が提出したデータ(参照)に基づいており、
以後の作品については基本的に『ゲーム産業白書』『ゲーム産業白書Decade』に収録されている売上データを参照した。小数点第2位以下は四捨五入している。
発売年のデータでは発売が年末に近いソフトの数値が少なくなってしまうので、できるだけ最終的な売上に近づけるために翌年のデータの累計販売本数を載せている。
ただし、『トラキア』に関しては『テレビゲーム流通白書(ゲーム産業白書の前身)』にデータがなかったので、『ファミ通ゲーム白書2005』記載の1年間の売上を使用している。
さらに『if』の数値は公式IR資料を参照したもので、『ゲーム産業白書』での1年間の売上は『暗夜』が18.1万、『白夜』が25.3万。
『覚醒』『if』の()内のデータは海外と合わせた売り上げ(覚醒は参照:MFE p.113、ifは上記資料)。他はすべて国内のみ。
またバーチャルコンソール化されている作品は、今後さらなる売り上げが見込めるだろう。


FEのCMについて


ファイアーエムブレムといえば、あのオペラ調のCMを思い浮かべる人も多いだろう。
印象的なCM(昔はCFと言っていた)の多い任天堂ゲームの中でも何かと話題になることが多いのが、
初代『暗黒竜』のCMである。このCMについての話は、『ファイアーエムブレム百科(小学館)』や『封印』の任天堂公式サイトなどにある。
CM自体は動画サイトなどで見られるので知らない人はぜひ視聴してみてほしいが、舞台上にFEユニットの扮装をした人物が登場し、FEのテーマに合わせて大真面目に「ファイアーエムブレム 手強いシミュレーション」と歌う、コミカルかつFEの雰囲気を存分に再現したものとなっている。
『百科』に掲載されている歌詞は以下の通り。
ファイアーエムブレム
手強いシミュレーション
勝ってくるゾと
い〜さましく〜
あぶ〜なくなったら
スタコラにげげろ〜
お〜ごれるものは
ドツボに〜はまる

出演しているのは声楽家の団体「二期会」で、鎧を身にまとっての歌唱や、
馬のルイス号がおびえるので撮影は苦労の連続だったらしい。
企画したのは『ゼルダの伝説』や『ファミコンウォーズ』のCMも手がけた任天堂の倉恒良彰氏。
この「オペラ型」CMは12年後の『封印』でもリメイクされ、往年のファンを感涙させた。
今回はFEにとって外せない「火」と「剣」を入れるのがこだわりだったという。
この「FEの歌」は歌詞を増量したフルバージョンが、『封印』のオリジナルサウンドトラックに収録されている。「勝ってるはずなのに 必殺一撃」「誰ひとりとして 死なせはしない」など、プレイヤーの心情に迫った歌詞で楽しませてくれる。

さて、有名なのはこの2つのCMだが、他作品はどうだろうか。FEは任天堂発売ということもあって、全作品にCMが制作されている。
その作風を分類してみると、『外伝』と『聖戦』は外国人を起用した「実写型」、『烈火』と『聖魔』は女子高生がプレイする「学生型」、
『蒼炎』『暁』『覚醒』『if』はムービーを主に見せる「ムービー型」、『新紋章』はこの時期に多いプレイする様子を映した「体験型」とでも呼べるだろうか。
『覚醒』と『if』には登場キャラクターを紹介していくバージョンもある。
『紋章』は裕木奈江が「マルス、本当に会いたかったんだよ」と語りかける珍しいタイプで、『新暗黒竜』はキャラクターをコマに見立てるという、基本に立ち戻ったものだ。
『トラキア』はプレイ映像のみだが、「トラキアななななろく」というタイトルの読みがわかるのは密かに重要だ。
この中で制作背景が語られているものには、『烈火』の堀北真希出演のCMがある。
平井堅の曲に合わせて彼女がGBASPで本作をプレイする様子を映すというこのCMは、 これまでの「いかにもゲーム」というイメージを変えて、新しい層にアピールする意図で制作されたらしい(参照:烈火・任天堂)。
「人は、物語と共に成長する」というキャッチフレーズで、「失った仲間には、もう、会えない」とFEの基本要素も伝えている。
ヒースを死なせておいて「さよなら」と言ってのける彼女に衝撃を受けたファンも多いとか。

このように、FE作品は豊富なCM展開がなされており、とりわけ初代のCMは強烈な印象を視聴者に残し、シリーズの知名度向上に大きく貢献したことと思われる。
CMもまた、制作者の意図が読み取れる資料の一つと言えるので、この際一度チェックしてみてはいかがだろうか。


FEとファミコンウォーズの関係


FEの他にも、インテリジェントシステムズ制作のソフトには『パネルでポン』や『カードヒーロー』などいくつかあるが、その中でも特にFEと関連が深いのがファミコンウォーズシリーズである。
プレイすればわかるかもしれないが、シミュレーションというジャンルの類似だけではなく、内容にもFEとの関連性が感じ取られる。
それもそのはず、FEとファミコンウォーズは制作スタッフがほぼ同じなのである。
最初にFCで発売された一作目『ファミコンウォーズ』には成広氏くらいしか共通スタッフがいないが、
『トラキア』の前年にニンテンドウパワーで発売された『スーパーファミコンウォーズ』は成広氏に加えデザイナーが加賀氏、グラフィックが樋口氏とワダ氏、サウンドが西牧氏と、『トラキア』スタッフとほぼ一致している。
また、『ゲームボーイウォーズアドバンス1+2』や『ファミコンウォーズDS』でも前田氏や堀川氏、井塚氏や樋口氏など、おなじみのFEスタッフが名を連ねている。
さらに配信限定の『ファミコンウォーズDS 失われた光』では前田氏がディレクターを担当しているなど(参照:MFE p.287)
、 FEとファミコンウォーズは同一チームの作った別シリーズであることがよくわかる。
両者を繋いでいるのは、自ら『ファミコンウォーズ』を代表作に挙げる成広氏の存在が大きいであろう(参照:その他・Gpara)。
ユニットに個性がない点など違いも大きいが、FEファンには兄弟ともいえるファミコンウォーズシリーズにもぜひ目を向けてもらいたい。


「エムブレムサーガ裁判」について


FEの歴史の上で、最も痛ましい出来事が「FEの生みの親」加賀氏と、彼の所属していたイズや任天堂との間に起こされた裁判だ。
この裁判は現在にまで至る亀裂を生み、FEファンも加賀氏についていくかどうかで大きく分裂してしまった感がある。それでもこの悲しい歴史から目をそらさず、事実は事実としてこの裁判の詳細を追ってみることにしよう。
なお、エムブレムサーガ裁判については「ティアリングサーガ裁判情報のページ」が非常に詳しい。

裁判に至るまでの経緯

加賀氏は1999年にイズを退社すると、別会社「ティルナノーグ」を立ち上げ、そこで新作シミュレーションの制作を始めた。
半年後、それはプレイステーション用ソフト『エムブレムサーガ(ES)』として発表され、ファミ通をはじめとする雑誌に情報が掲載された。
この直後から、任天堂はESが不正競争防止法と著作権法に違反していると警告を繰り返した。
しかし『エムブレムサーガ』は『ティアリングサーガ』にタイトルを変更して2000年5月に発売され、それに対し7月25日、任天堂とイズは、ティルナノーグと加賀氏、発売元のエンターブレインに対し不正競争防止法および著作権法違反で東京地方裁判所に提訴した。
裁判は4年にわたり、一審では任天堂側が敗訴したが、二審ではそれが覆り、任天堂側の言い分が一部認められた。
任天堂はなお不服とし、最高裁判所へ上告したが、2005年に上告不受理が決定し、二審判決が確定することによって、一連の訴訟は終結した。
第一審の事件番号は「平成13年(ワ)第15594号」で、判決全文はこちら
第二審の事件番号は「平成14年(ネ)第6311号」で、判決全文はこちら

何が問題だったのか?

筆者は決して司法制度の専門家ではないが、どうにかして判決を読んである程度理解できたので、この裁判の詳細をできるだけわかりやすく記そう。
ここで争われたのは、エンターブレイン(EB)側の不正競争防止法違反と著作権法違反であり、
前者は、『エムブレムサーガ』というタイトルで販促活動を行ったことによって、ESはFEシリーズの一作であるという誤認を消費者に起こさせ、エンターブレインが不当に利益を得たという訴えであって、
後者は、ESおよびTSが、任天堂とイズが著作権を有するFEと類似しているために発売してはいけないという訴えである。
これは、単純な「パクリ騒動」ではないだけに話はややこしい。何より、これまでFEを作ってきた加賀氏がESにも関わっているからだ。このため裁判では、FEの著作権が加賀氏に属するかどうかが争われると考えられていた(参照:『SPA!』2001年9月5日号)。
しかし、事態はより複雑で、FEの本質に関わるものとなっていったのである。

裁判所はどう判断したのか?

まず、争われるとされてきた著作権の帰属については、加賀氏やイズではなく、製造・販売の主体である任天堂にあるということが示された。
その上で任天堂の著作権を侵害しているかどうか、ESは誤認を起させたかどうかについて検討がなされた。
裁判過程は判決にある程度記されているが、このキャラとあのキャラが似ているとか、どちらにもペガサスが登場するとか、任天堂側は細かい点をひたすら挙げていったようで、しまいには似ていることを示すために『トラキア』の開始からエンディングまでを録画して裁判官に見せることまで考えていたようだ(さすがに「長いので抜粋してください」と言われたらしい)。
その結果どうなったか。著作権侵害に関しては、一審でも二審でもESがFEの著作権を侵害しているとは認められなかった。FEとESの類似点はありふれたアイデアの一致の範囲を出ないもので、著作権を侵害しているとはいえないという判断であった。
先のペガサスの例では、「ペガサスに騎乗する騎士」というのはファンタジーによく出てくるもので、これが共通しているからといって著作権侵害ではないということである。このような個々の否定を積み重ねていって、全体としても侵害ではないと判断されたようだ。

一方、不正競争防止法違反については一審と二審で判決が真逆であった。
一審ではたとえFEファンがESをFEシリーズだと思ったとしても、それは加賀氏の移籍のためであって、こうした際には起こっても仕方ないことだと判断された。
しかし二審では、加賀氏がファミ通(2000年1月21日号)や電撃プレイステーション(2000年1月28日号)のインタビューでFEとの世界観の繋がりを明言し、ファミ通も「『ファイアーエムブレム』の世界観を継承した」と書いていること、さらには『エムブレムサーガ』というタイトル自体の独自性の点で、意図的に誤認を引き起こしたと判断され、
約7600万円を任天堂に支払うよう命じられた。

このタイトルの独自性というのが興味深いので、詳しく説明しよう。
判決によると、『ファイアーエムブレム』のうち「ファイアー」はありふれた名称だが、「エムブレム」に関しては、「エンブレム」とは違って「造語的印象を受ける特徴的表記」であり、
『エムブレムサーガ』もこの表記を使用した点で、FEシリーズとの強い関連性を感じさせるものであったという。
最終的に名称を変更はしたが、当初の名称でファンに誤認を起したことは売り上げを不当に上昇させることになったと判断されている。
これはある意味、『ファイアーエムブレム』の「エムブレム」がFEのFEたる部分だと理解されたということであり、現在でも「エムブレム」表記の間違いに非常に厳しいファンがいるのにも通じることである。

まとめ

この裁判は、「FEらしさとは何か」が法廷の場で争われたという点で非常に注目すべきものだが、その結果は、ひたすら原告側と被告側の関係悪化をもたらしたといえる。
二審判決はEB側の誤りも認めたものの、著作権侵害が認められなかった任天堂側は不服であり、最高裁への上告も行ったが、後に棄却された。
こうしたことが、任天堂・イズとエンターブレイン(ファミ通)・加賀氏との大きな亀裂を生んだことは確かだろう。
素人目には判決は正当なものに思われるが、ファミ通と加賀氏がFEとの共通点をあんなにアピールしなかったらここまで問題にはならなかったはずなので、
その点は一ファンとして残念でならない。


『覚醒』での大転換の理由


作品の評価をめぐってのファン間の論争が激しいのがFEというシリーズだが、
とりわけ『覚醒』の際にはすさまじい対立が巻き起こったように思われる。
ここではこの作品の評価自体に言及するつもりはないが、良し悪しの判断は置いておいたとしても、この作品がこれまでのFEとは大きく違ったものになったことは確かだろう。
そうした変化の理由について、なぜ?と疑問を持っている方は多いであろうから、以下では、なぜ『覚醒』がこれまでとは変わったのかの理由を考察してみよう。
これを見れば、その変化も十分に説明がつくはずである。

『覚醒』での変化の理由として、以下のものが挙げられる。

売れなければいけない必要性

上でも述べたが、『覚醒』制作の際には、25万本売れないとFEシリーズを終了すると任天堂から通告がなされていた。
これを受けてスタッフは、「最後のつもりでやろう」と思ったと述べているが、そう考えるだけではなく、何としてでも売り上げを伸ばしてシリーズを継続させようという思いも当然あったことだろう。
ここで言いたいのは、このせいで売るために露骨な人気取りに走ったということではなく、
「今までと同じFEでは同じくらいしか売れない」とスタッフに判断させた、ということである。これが何よりも転換の原動力になったと推測される。
(ただし実際の売り上げを見ると、『新紋章』でも27万本を超えており、25万本というハードルはそこまで高くなかったようにも思える。
なので事後的なアピール、つまり路線変更への批判を受け流すために「シリーズ打ち切りの危機」というのを戦略的に持ち出しているのかもしれないという見方も、一応記しておくこととする。)

そもそも方向転換する予定だった

「集大成」というコンセプトが出るまで、本作には相当の試行錯誤の期間があったらしい。
その過程では現代の学園もの、時代劇、火星が舞台のものと、これまでのFEの世界観を根底から覆すようなアイデアも出ていた(参照:覚醒・任天堂)。
つまり、『覚醒』は企画段階からFEのイメージをぶち壊す予定だったといえよう。
実際に、任天堂からも「今までに無かったものを提案してほしい」と言われていたようだ(参照:MFE p.60)。
そうした中で最終的に既存の世界観から離れないファンタジーに落ち着いたのは、むしろ穏当なほうだろう。

システム的な改革の手詰まり

また、『覚醒』に転換をもたらした原因の一端は、前作の『新紋章』にもあると考えられる。
というのも、『新紋章』の時にあれほど長い間議論してカジュアルモードを導入したのに(参照:新暗黒竜・任天堂)そこまで売り上げが伸びなかったというのは、
システム変更による新規ユーザー獲得の限界を実感させることになっただろうからだ。
それまでにも、序盤の章をチュートリアルにしたり、簡単な難易度を設けたり、兵種変更を可能にしたりと、FEは間口を広げるあらゆる試みを行ってきた。
それにもかかわらず新規ユーザーが増えなかったことに対して、「もはやシステムを簡単にするだけではダメだ」とスタッフは思ったはずである。
実際そのような内容がインタビューでは語られており(参照:覚醒・ニンドリ2012)、
『覚醒』ではシステム改革の代わりにキャラクターデザインやボイスなど、目につきやすい部分の強化を重視したとのことだ。

スタッフの世代交代

『トラキア』以後は安定していたFEスタッフも、10年も経てばさすがに変わらざるを得ないようで、本作ではベテランの成広氏と辻横氏、任天堂の山上氏がほぼ関わっていない上に、
新規スタッフがかなりの要職に就いている。その筆頭がプランナーの小室氏とアートディレクターの草木原氏である。
小室氏は入社直後かつそれまでFEシリーズは未プレイで、本人も「もっと軽い感じのゲームが良かった」と語っている(参照:MFE p.50)。
もちろんその後にFE作品については勉強したようだが、そのような小室氏が『覚醒』のキャラクター周りのかなりの部分に関わっている。
また草木原氏は『新暗黒竜』からの参加で、グラフィック方面の仕事は初めてらしい。
任天堂側ディレクターも今作から変わっており、そうした新しいスタッフが新しい雰囲気を持ち込んだのだろう。

一部制作の外注

『覚醒』スタッフには、これまでほぼ見られなかったシナリオ面の外注が目立っている。
レプトン、レッド・エンタテインメント、エッジワークスの3社に委託されており、おそらく本筋以外の細かな会話などを担当したのだと思われる。
これは次に述べる制作期間の短さもあってのことだろうが、外部の影響を受けることで、内部スタッフのみで作っているものとは多少雰囲気が変わることは確かだろう。
ちなみにこれまでの作品の外注に関しては、『聖魔』にカプコン関係のスタッフ(全般)、『新暗黒竜』にアルヴィオン(全般)、『新紋章』にレプトン(シナリオ補助)が関わっている。
全体として、新しい作品になるほど外注は増えているといえる。

制作期間の短さ

インタビューを見て感じるのは、盛り込む内容に対して制作期間が短くないだろうか、ということである。
『覚醒』は『新紋章』と平行して企画され、制作開始が2010年の冬とのことなので、最長でも発売まで1年半ほどしかない(参照:MFE p.74)。
その中で結婚システムを入れ、それに伴うストーリーを作り、外部のイラストレーターと連絡し・・・という過程をこなし、さらには制作終盤でDLCの導入が決定したとも語られている(参照:覚醒・任天堂)。
インタビューではこれを「すごい熱意で一気に作った」という風に伝えているが、こうした制作状況もまた、作品に対して影響をもたらしたのではないだろうか。


これらの理由により、『覚醒』でFEシリーズが大きく転換することになったと考えられる。
その是非についてはここでは述べるつもりではないが、確かに言えそうなのは、『覚醒』を通してスタッフが「ユーザーを引き付ける方法」を見つけ出したことである。
突然のマルスの登場、奇抜な曲名の音楽、過去作キャラの登場、DLCの導入などの要素は、新旧ユーザー双方をあっと驚かせ、中身についての興味を持たせるものであった。
これは「話題作り」がうまくなったということであり、この手法は『if』でも用いられているように思われる。この手法の確立こそが、『覚醒』のもたらした最大の成果とも言えるかもしれない。

成広氏と「パーフェクトプレイ」


ネット上の情報では、シリーズディレクターの成広氏がしばしば言及する「パーフェクトプレイ」について、 氏に対する批判が見受けられる。
パーフェクトプレイとは、キャラ全員の生存を目指すプレイのことで、キャラが死んだらリセットという行為がそれに伴う。
成広氏はこのやり方についてたびたび否定しており、「作り手としては想定していないプレイ」などと言っている(参照:蒼炎・ニンドリ)。
この発言が問題視されており、とりわけ『新暗黒竜』で外伝の出現条件をキャラロストにし、序章に囮イベントを作って「死なせねばならない」状況にしたことは多くの批判を呼んだ。
こうした点から、成広氏はFEのことをよくわかっていないとか、FEシリーズの方向性を曲げてしまったと見られることもある。

確かに、パーフェクトプレイはファンとしては当然のようにやっていることだろうし、広まっている証拠もある。初代『暗黒竜』の攻略本『ファイアーエムブレムタクティクス(新紀元社刊)』では、
「味方のキャラクターが死んでしまった場合はリセットするしかない」などと、この時点ですでにパーフェクトプレイは当然のように書かれている。
FEファンとして知られる桜井政博氏も、キャラが死んだらリセットするかと聞かれて「そりゃそうですよ」と答えている(参照:MFE p.316)。
加えてイズ社長の北西亮一氏のプレイスタイルは、キャラロストどころか成長が納得いかなかった場合にもリセットを押すという徹底したもののようだ(参照:暁・任天堂)。 さらに、制作者側も『紋章』のパーフェクトエンディングや『聖戦』以降の生存評価など、パーフェクトプレイを推奨するシステムを作っており、パーフェクトプレイはスタッフにも認められているものだといっていい。
なので、ここで考えるべきはむしろ「なぜここまで当たり前のプレイを成広氏は否定するか」ということだろう。

いろいろな発言を検討すると、パーフェクトプレイの否定は、「エンディングまで行ってもらうため」「ドラマ性を持たせるため」という意図があるように思われる。
前者については、キャラが死んでも先に進むことで、エンディングまでの道のりは短くなるのであり、任天堂の山上氏もこれを支持している(参照:暁・ニンドリ)。
後者については、「誰かが犠牲になることでドラマ性が生まれる」ということで、加賀氏がこの理由で非パーフェクトプレイを奨めている(参照:トラキア・任天堂)。
しかし、ここで加賀氏が述べているように、これは「ノーリセットプレイ」ということであり、難易度的にはパーフェクトプレイ以上である。
成広氏もどうやら、加賀氏のこの姿勢を踏まえているふしがある。
というのも、前者の理由、キャラが死んでストップしてほしくないならカジュアルモードを導入すればいいわけだが、
『烈火』インタビューで成広氏はキャラロストの廃止をきっぱり否定しているのである(参照:烈火・ニンドリ)。
カジュアルモードなしでリセットなしとなれば、これはノーリセットプレイに他ならないだろう。
ここにはある程度の推測も入るが、成広氏はさらに難易度の高いプレイをユーザーに求めていたのであり、
それは加賀氏の意志を受け継ぐものだったといえる。

結論を言うならば、成広氏が普及していないハイレベルなプレイスタイル推奨しており、
『新暗黒竜』でそれをユーザーに強制したことは、批判されても仕方ないだろう。
しかしその姿勢自体は加賀氏と意見を同じくするものであり、そのことをもって成広氏がFEシリーズをわかっていないなどと批判するのは不当である。
成広氏の発言はむしろ、ノーリセットプレイという新しい遊び方を提唱するものとして理解するのがいいのではないだろうか。


開発中止となったFE作品は?


25年間で14本(+1)と、かなり順調に制作されているFEシリーズだが、
それでも開発中止となった作品や、ほぼ白紙に戻った企画などが存在する。
以下ではそうした日の目を見ることのなかったFE作品について、わかる限り調べてみた。

聖剣エルムガイザー・ソードエムブレム

この作品は最終的に『聖戦』として発売されたが、それまで数本分作り直したと語られていたように、
ボツとなった要素が相当数存在するようだ。
元はRPG要素が強めで、城の中を歩き回れるもので、さらには団体戦システムが考えられていたらしい(参照:MFE p.269-270)。
これはユニットがまとまって動いて戦闘を行うというもので、『伝説のオウガバトル』のような内容だったものと思われる。

ファイアーエムブレム64

この作品についてはここでも調査しているように、
1997年に64DD用タイトルとして発表され、1999年に64への開発移行が伝えられたが、翌年のスペースワールドでは『暗闇の巫女』と入れ替わる形でタイトルが消滅してしまった。
内容についての情報は一切なく、スタッフも「Nintendo64の研究をしていた」としか語っていない。
おそらく制作の初期で企画がなくなった、真に幻のタイトルである。

ファイアーエムブレム 暗闇の巫女

これまで『封印』の旧題だと思われていたこのタイトルだが、実はまったくの別物だったことが明らかとなった。
2000年のスペースワールドで唯一公開された画面写真は、タクティクスオウガのような斜め視点でそこにキャラが立っているという、これまでのFEとも大きく違う様子を見せている。
本作について樋口氏は、体制に変更があり、一度作り直したと語っている(参照:MFE p.43)。
おそらく加賀氏の離脱に伴う変更であろうが、『封印』の制作期間は1年ほどのようなので(参照:封印・イトイ新聞)、2001年ごろに一度リセットするに至ったのだろう。
追加の資料を見ると(参照:MFE p.44-45)、確かに『封印』とはキャラも異なっている。
おそらく主人公がエフラムで、その父がエリウッド、さらに弓兵の女性はレベッカのセリフをしゃべっているなど、
むしろ『烈火』以降の作品にいくつかの要素が受け継がれたことがわかる。

Wii版ファイアーエムブレム

草木原氏がディレクターを務めていたというこの作品は、『暁』の次に作られていたもので、
『ピクミン』のように大人数を引き連れて戦う作品だった述べられている(参照:MFE p.285)。
桜井氏が『新暗黒竜』のインタビューで次回作の方針として「『ピクミン』とかどうですか?」と述べているが(参照:新暗黒竜・任天堂)、
そのアイデアはまさかの検討済みだったわけである。
ともかく資料を見ると(参照:MFE p.63)、マップ内を自由に移動し、敵シンボルとの接触によってエンカウントするという、
かなりRPG色の強いものだったことがうかがえる。


ここまで実現されなかった企画を見てきたが、これらには明確な共通点がある。
それは、どれも「FEっぽくない」、つまりこれまでのFEとは大きく異なるシステムを有していたという点である。
ここで気付くのは、FEシリーズは『外伝』の方向性を除けば基本システムは常に一貫しているが、
それはスタッフが保守的で変化を嫌がったのではなく、
別システムもいろいろと検討してはいたが、どれも結局うまくいかなかったということである。
このことは、初代から続くFEのシステムの完成度の高さを示しているとも受け取れるだろう。



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