ゲームの構成要素分析
〜バランスよい評価のために〜


今回は、ゲームの評価をやりやすくするために、コンピューターゲームがどのような要素から成り立っているかを考えてみたい。
なぜそうしたことが必要かというと、その構成要素の中にも「見えやすい」部分と「見えにくい」部分が存在し、それによって多くの人の理解に偏りができていると考えられるからだ。
よって、見えやすいものも見えにくいものも全て含めた一覧をゼロから作るということが大事になってくる。

ここで挙げる要素は、RPGに典型的な、ストーリーやキャラクターが存在するものをサンプルとして取り出している。アクション性があるにせよ、シミュレーション的になるにせよ、ここでの区分は物語のついたゲーム全般に妥当するだろう。この分け方が絶対だと主張するつもりはないし、以下の要素を備えていなければゲームにあらず、と考えているわけでもない。
ここで取り出しているのはいろいろなゲームを要素別に分解して評価する際の一つの例であり、ある程度ジャンルごとに重点の置き方は変える必要があると考えられる。
もう一つ断っておきたいのは、これは作る側からでなく、プレイする側からの分類だということだ。制作側から要素を数え上げるならば、例えばRPGの場合はメッセージとイベントとフラグと・・・というRPGツクールの制作マニュアルのようなものができ上がるだろう。しかし今回はゲームを遊ぶ側の視点として、一度組み上がったものを分解するという、リバースエンジニアリング的な方向から話を進める。

ここから本題に入るが、まずはゲームの構成要素を大きく二つに分けるとしよう。その場合、「表現」の部分と「システム」の部分に分けるのがいいように思われる。
前者は、画面に表示されるか、音として再生されるもの全般を表している。ゲーム側からの何らかの発信は全てこれらの表現を経由して行われなければいけないが、その表現方法は映画や小説、アニメともいくらか共通するものである。
後者は、ゲームのゲームたる部分のことを指している。これが何かは意見が分かれるところであり、詳しい考察は後回しにするが、ひとまずはプレイヤーの入力を受け付け、それに何らかの処理をして画面や音に反映させるシステムだと考えればいいだろう。
この二つの大要素、表現とシステムはどちらかが欠けてもゲームは成り立たない。画面がなければプレイヤーには何も伝わらないし、システムがなければそれは単なる映像作品になってしまう。従って両者はゲームの必須要素であるが、その果たす役割には大きな違いがある。
以下ではまず表現の側をさらに分解して見ていこう。

表現面の単独要素について

ゲームにおける表現を担うものとして、われわれの感覚と直結している要素を大きく三つ挙げるならば、ビジュアル、テキスト、サウンドとなる。これらはそれぞれ、見ること、読むこと、聴くことと関わっており、これを最も基本的な、単独要素として扱う。サウンドノベルというジャンルを見ればわかるように、この三つ全てが組み合わさっているのがゲームであるが、これは小説や映画など他のエンターテインメントと比べても特異なことといえる。
さて、この三つの要素をさらに細かく分解すると以下のようになる。

ビジュアルの三要素

この図を順番に解説していこう。まずビジュアルに対しては、いろいろな分類の可能性が考えられる。例えば描画方法で2Dと3Dに分けることができるだろう。両者に共通しているのは、背景となるものの上に動くものや建造物を置く、または重ねている点であって、それを踏まえて今回は背景、オブジェクト、カメラワークに分けてみた。
背景は基本的に風景や建造物を、オブジェクト(2Dの場合はスプライト)は人物やその他の動物を指していると考えればいいだろう。
さらに、描画が2Dでも、3Dだと言われるようなグラフィックがある。例えばウィザードリィのダンジョンがそれで、6以前のドラクエのような見下ろし方視点を2Dと呼ぶのに対して、Wizのようなより立体感のある主観視点などを3Dと呼んでいたりする。
このややこしさを解決するために、「カメラワーク」の要素を導入してみた。これで先ほどのWizとドラクエの違いを説明できるわけだ。
また、カメラの位置で考えるとほとんどの場合2D描画のものは固定視点で、3D描画のものは自由視点だといえる(カービィ64のように、3D描画でほぼ固定視点になっているようなゲームもある)。
さらに3D描画の自由視点ゲームにおけるカメラの役割はより重要で、プレイしやすさに関係するほか、イベントシーンでどこにカメラを置くかということも製作者が決めなければならない。
映画ならばこれはすごく重要なことであるので、ゲームを見る際にもカメラに注目することは意義あることだろう。

テキストの三要素

次にテキスト。これは文字情報のことを指すが、登場人物のセリフとナレーション(小説では地の文、脚本ではト書き)、システムメッセージに分けられる。最初の二つはアニメや小説を考えればわかりやすいだろう。
この区別ははっきりしているが、その違いを認識することは重要である。
たとえばFFは3まではメッセージの中にナレーションがあるが、それ以降は次第に状況の解説はセリフとキャラの身振りによって表現されるようになっている。
他のゲームでも、ナレーションによる状況説明を極力なくすというこの傾向は顕著であって(例えばスパロボやFE)、こうした点は小説におけるテキストとは大きな違いを生む。
一方で一般的なテキストアドベンチャーなどは小説のスタイルそのものであり、「セリフのみ」か「セリフ+地の文」かはゲームのテキスト面の表現形態の最も大きな違いとなっている。
一方システムメッセージというのは、「はい」「いいえ」のような、セリフでもナレーションでもないがゲームを成り立たせる上で重要なテキストを意味している。
アクションやシューティングの残機やスコア表示もここに入るだろう。

サウンドの三要素

最後にサウンド。これは常時流れるBGMと、何らかの変化を伝える効果音と、テキストの代わりとなるボイスから成り立っている(動物の声はどちらに入れるべきか微妙)。
BGMに関して、単独で発表または演奏される楽曲との違いは、それが特定の場面に使用されるという点にある。この点は映画やアニメと一緒である。
従って、ゲーム内の楽曲が単独で聴くに値するものであるにせよ、そこには何らかの違いがあると考えなければいけない。
単独で聴くときは「音楽として」評価されており、ゲーム内では「ゲーム音楽として」評価されているということを念頭に置いておこう。
この「ゲーム音楽として」の良さは、当のゲームのプレイを抜きにしては語れないものである。
次に効果音。これは見過ごされがちだが、しっかりとゲームの中で役割を果たしている。ボタン操作を受け付けたことの表現であるカーソル移動音などがわかりやすいだろう。
それに加えて、以前ここで述べたように、効果音はゲームの臨場感とも直結するものであって、その臨場感はただ本物の音を録音しさえすれば出るものではない。効果音作りも立派な技術、ひいては芸術なのである。
残るボイスの役割はアニメや映画と同じに見えるが、ゲームがそれらと違う点は、ボイスがないこともありうる、という点にある。
例えばある人物に声があるかないかで、キャライメージの構築に大きな差が出ることになるだろう。
その他にも、文字を読む余裕がないようなアクションゲームの際にも、ボイスで状況を伝えることでプレイがしやすくなったりもする。

表現面の複合要素について

これら三つの要素が組み合わさって、ゲームのストーリー部分ができあがる。
もちろんシンプルな将棋ゲームなどの場合のようにゲームには必ずしもストーリーや登場人物が存在していなければいけないわけではなく、以下の要素は必須といえるものではない。
また直接見たり聴いたりできる先ほどの要素と違って、物語は「見えない」。むしろそれはユーザーの頭の中で組み立てられるものである。
だが、その組み立て方にも一定の適切なパターンというものがあり、それをまとめ直しているのが下に表している複合要素といえる。
複合要素の図。 この図の新しく追加された部分は、上のものが下のものを含む形になっている。下から順に見ていこう。
まずはキャラクター、登場人物。これはその人物のビジュアル、セリフ、ボイスからなるというのは理解しやすいだろう。それが人間であるにせよそうでないにせよ、基本的にこのキャラクターを単位として物語は進行する。
そのキャラクター同士による出来事がイベントであり、そのイベントが連なったものが筋となる。一般的にストーリーと言う場合この筋のことを指している。誰がどうして、その結果どうなったというやつである。イベントと筋の区別はあまり明確でないために、それほど重要視する必要はない。
さて、ゲームを語る際にシステムやサウンドの他にはこのストーリーばかり見られがちだが、それをさらに包括する世界観というのが実は大事である。
ここでの世界観とは、キャラクターやストーリーに加えて、主に「背景」や「設定」とまとめられるもの、つまり建造物の様式や自然、キャラクターの着ているものなどのビジュアル面の設定や、その世界における技術の進歩度合、どんな生物(精霊や幻獣、モンスターも含む)が存在するか、魔法があるとしたらどんな原理かといった設定、さらにはその世界の過去の歴史といったものまで含めたもっとも包括的な要素を指している。
この世界観は、その作品の「ファンタジー」度合いに大きく関わってくる。現代が舞台のものや、歴史上の出来事を扱ったものなどにファンタジーも何もないじゃないかと思うかもしれないが、ここでのファンタジーは日常とは別の「一つの世界」が構築されているかといった意味合いである。これについても言うことはたくさんあるので、また別のところで詳しく扱いたい。

以上がゲームの表現の面を分解してみた一例となる。この場合は物語としての側面を重視したために人物主体となったが、その他にも描画方法やキャラの造形などからアプローチしていく見方もあるだろう。

表現面とシステム面の総合

これに対して、システム面はどうなっているかと言えば、根本にあるのはまずプログラミングである。しかしどうプログラムが組まれているかは通常の手段では見る事はできないし、それがうまくいっているかどうかは全てのユーザーが扱うべき内容ではない。
そこで、システム面を評価する際に用いられる要素を取り出してみると、ゲームバランスや操作性、自由度といったものが挙げられるし、そもそもどんな形のゲームかというゲームジャンルもこのシステム部分に含まれるだろう。
ただし、これらの要素は先ほどのようにグラフィックやサウンドといった形で明確に取り上げられるものではない。加えて、どんなにうまくできていようともそれを表示する画面が存在しないゲームでは一切評価できないことからもわかるように、表現面と切り離して扱うことが難しい。
そこで、システム面の詳しい内容についてはひとまず置いておくとして、このように考えてみる。
グラフィック、サウンド、テキストからなる表現面と、システム面が合わさったところにゲームというものは成立する。そして、その双方にまたがる大要素こそが、「ゲームのゲームたる部分」、いわゆる「ゲーム性」である、と。
したがって構成要素の図は最終的にこのようになる。

ゲームの構成要素の図、完成形。 では、この「ゲーム性」とは何なのか。これについてはいろいろなことが言われているし、そんな曖昧なものは存在しないという意見もある。
これについてはもう少し詳しく論じる必要があるので、さし当たって今回はゲームの構成要素を分解したところで終わりとし、次回にこの問題へと切り込んでいくことにしよう。

→次回「ゲーム性とは?」に続く

もどる
ムーンウォークで  あんないするラリラリ!!