藤岡千尋氏インタビュー

ゲームの制作過程やゲーム会社の状況を知る上で、開発者の方々に直接お話しをうかがえたら、これ以上理想的なことはありません。
それがなんと今回は、Subeakiさんのご協力で、あの藤岡千尋さんにインタビューを受けていただくことに成功しました!
事前の連絡もしておらず、かつ別のイベントのついでという状況で快く引き受けてくださった藤岡さんには、いくら感謝しても足りません。
クリスタルソフト、スクウェア大阪、アルファドリームという藤岡氏のご活躍の過程が明らかになるだけでなく、
ご本人が自らの作品やいろいろなゲームを愛しておられることがよく伝わってくる、素晴らしいインタビューでした。
今回の内容を、心血を注いで作られた作品の普及とゲームの歴史の記録に役立てることができれば幸いです。

それでは、以下にインタビューの内容を掲載します。
こういうのは初めてなのできちんと書けたか怪しいですが、できるだけ文意を曲げないよう編集しました。いくつかの事項にはカッコで補足を入れてあります。

インタビューデータ

日時:2014年12月14日
場所:自由が丘McCartney
聞き手:へほくん

主な話題

  • クリスタルソフト在籍時代について
  • スクウェア大阪開発部結成の経緯
  • FFUSAミスティッククエストについて
  • 東京への異動後の状況と、マリオRPGについて


クリスタルソフト在籍時代について


 お話をお聞きのみなさんこんばんは、藤岡千尋です。ありがとうございます。

――では、さっそくご質問よろしいでしょうか。まず、クリスタルソフトについてうかがいたいのですが。

 あっ、クリスタルソフト知ってますか。これはすごいなあ。

――作曲をされていたんですよね。

 そう。でもね、クリスタルソフトの時は、クレジットは自分なんですけど、作曲は結構いろんな人がやっていまして、当時はテープとかでデモを作ってもらったり、3音の簡単な譜面だけもらって、アレンジとデータ側は全部自分がやっていたんですね。足りない曲はもちろん作曲もしていたんですけど、ですので、アレンジとデータのエンジニア的な仕事を全部自分がやっていて、元曲は、結構いろんな人に頼んでいましたね。笹井君[笹井隆司(りゅうじ)氏]もそうですし、ミスターシリウスというプログレバンドを大阪でやっていまして、そこのギターの釜木君[釜木茂一氏]という人に頼んだり、最近は映像作家、ショートフィルムの監督をやっている、ふるいち[ふるいちやすし氏]君も一緒にバンドをやっていたんですけど、そういう人に頼んだり、いろいろ人づてで募集して5、6人に頼んでましたね。いちばん簡単なのは、2小節ぐらいペロンと音符が並んでいるやつをもらって、そこから曲を膨らませたり、3音から6音に増やしたりとかやっていました。今みたいに完パケできれいに作れないので、データの打ち込み方で曲を作るという、そんな時代でしたね。自分が作曲したのは半分くらいかな。

――『ボルフェスと五人の悪魔』などですかね。

 あーそれ!『ボルフェスと五人の悪魔』はほとんど自分の作曲です。キャラクターのテーマで1曲だけ他の人[ふるいち氏]のがあるんですけど、あれは今までの中では一番よくできてる。

――実はやったことはないんですが、今はProject EGGで買えるので、いずれやりたいと思っております。

 そうなんですか。EGGだっけ?ありますよね。

――あとは『リザード』なども。

 『リザード』は自分がプログラムをやっていました。当時はスタッフの分業制があまり確立していなかったので、リザードの時はデザイナーが1人だけ。あとは全部自分で。データをもらってラインで絵を描いて、ああいうのを作ってましたね。懐かしいなぁー。


スクウェア大阪開発部結成の経緯


――その後、クリスタルソフトから移籍されましたよね。笹井さんや井出さん[井出康二氏]と。

 笹井君は当時外の人で、井出君はクリスタルソフトで、自分が先にスクウェアで大阪開発をスタートしたので、じゃあ井出君も来れば?って。

――『サ・ガ3』のチームは、他の会社の方も参加されてましたね。

 ああ、めちゃめちゃいましたよ。大阪開発部を立ち上げたばっかりだったので、結構いろんな会社から来てましたね。コナミやタイトーにいた人とか。当時はパソコンゲーム会社同士結構仲が良かったので、スクウェアの宮本さん[初代社長の宮本雅史氏?]とか、ちょいちょい会う機会があって、大阪開発部を作るって言うんで、じゃあ、やりまーすって。それ以来ですね。

――あとはニチブツからも来ていますか?

 ニチブツの人もいました。藤井君[藤井武夫氏]っていうプログラマーと、安田由紀さんというデザイナーさん。だから、ニチブツとタイトーとコナミ、その辺ですかね。

――それで『サ・ガ3』が開発されたということですね。今では「サガじゃない」などと言われることもありますが・・・

 出た時には、評判は真っ二つでしたね。やっぱり作ってる人が変わっているし、システムも違うから、全然違うものって言う人もいれば、テイストは一緒なんで、サガの位置よりはわりと普通のロープレ的な遊び方に近いので、それがいいねって言う人もいて。ほんと賛否両論あったタイトルですよ。

――でも世界観は特殊ですよね。クトゥルフ神話が入っていたり。

 そうそう。これは井出君のね。彼はクリスタルソフトにいた時から、クトゥルフ神話とか、モンスタッフ[?]が描かれた絵本とかを収集していて、そういうのが好きだったので、『夢幻の心臓III』とかも、彼が自分でやっているんで、その辺にもちょいちょい入っているんですね。その流れで『サ・ガ3』にも、いっぱい入っていますね。


FFUSAミスティッククエストについて


――次に、『FFUSA ミスティッククエスト』が海外で発売されましたね。

 これは、スクウェアの東京の本体ではいろんなチームが確立されていたので、違うところでアメリカで受けるロープレを作らなきゃというミッションで、アメリカ専用で作っていたんですよ。結局、逆輸入されて日本語版も出たかなと思うんですが。

――はい、しっかり出ております。

 でも全然最初そんなこと考えなくて、名前の付け方もチョー適当なんですよ。ホワイトとかレッドとか。これは海外の人の翻訳なりに何か変わるかもねということもあり、すごいシンプルに作ったんですよ。日本のロープレはストーリーを追っていくっていう濃いのが得意だったじゃないですか。それとは全然逆の、バトルだけメインで、ストーリーは骨格しかない、っていうやつのほうがいいんじゃないか、ってことで、わざわざバトルポイントなども作って、とりあえずバトルだけやってくれというスタイルにしました。

――難易度に関しても、海外では難しいものは受け入れられないだろうと考えていたというのはうかがっておりますが・・・

 そうなんですよ。当時はなかなか、日本のロープレが売れなかったですからね。だからもうちょっとシンプルにというのが基本で。

――日本でも出て良かったです。

 日本で出るのはわりと微妙な感じでしたね。日本の人に受けるつもりでは全然作っていなかったので、反対に日本語版が出て「えっ!?」って。

――中身も『サ・ガ3』に近いところもあって。流れを感じられるので、もし出ていなかったら残念だったと思います。

 でも、日本のユーザーからしたら「何じゃこのゲームは?」っていう感じだと思いますよ。全然今までのスクウェアのテイストとは違いますし。作ったほうとしては、ドキドキしてたんですね。日本で売られてどうなのかなあという。今でいうスマホのロープレっぽいよね。どんどんバトルをやっていって、ポイントを移動していくという。わかりやすい展開で、ひたすらボタンを触っている時間が長いというのがいいところだったんで。

――独特のノリがありますし、今年出たシアトリズム[シアトリズムFF カーテンコール]にも曲が収録されていますよ。

 えっ本当に!?えーっそんな情報全然聞いてない!

――笹井さんのバトル曲が収録されて、ようやく正式にシリーズの一つだということになりました。

 そうなんですね。弘田君[藤岡氏と同じアースバウンドパパスの弘田佳孝氏。シアトリズムCCにも参加している]から何も聞いてなーい(笑)!本当にね、スクウェアを離れてからスクウェア情報が全然入ってこなくて。しばらくは、まったく接点がなかったんですよ。たまに岡宮さん植松さんとライブを観に行ったりするという程度かな。それでサガシリーズ20周年の時に[おそらく『サガクロニクル』の企画]連絡をいただいたことがチョー久し振りで。ここ2、3年にまた当時のスクウェアのみなさんとの接点が増えてきたくらいなんです。


東京への異動後の状況と、マリオRPGについて


 ところで、(へほくん)さんはどの辺からやってたんですか?

――わりと後からなんですよ。世代はスーファミなので。

 じゃあ、FF4・5・6とか?

――はい。その後で1からやり直して。

 そうか。自分がスクウェアに入ったのがちょうど4の時ですかね。スーファミの開発をまだやっている時で、東京に行ったときに「見てよこれ、すごい絵が出るんだよ」とか見せてもらった覚えがあります。当時スーファミの前はファミコンで、タイルペイントと呼んでいるんですけど、いろんなドットを組み合わせて微妙な色調の雰囲気に見せるというドットのキャラクターの描き方をしていて、それがスーパーファミコンになってもわりとその手法のまま色数が増えていたので、「ファミコンっぽいよね」という感想をしゃべっていた覚えがあります。そこからまたできあがった製品版を見たらガラッと変わっていましたけどね。やっぱりスーファミならでは感があって。当時ちょうどFFの4・5・6辺りをわりとよく見ていましたね。6もかなり遊んで・・・だいたい自分はラスボスの前で戻るんです。ラスボスを倒しちゃうとゲームが終わっちゃうので。その前まで行って、またぐるぐる世界を回るということをよくやっていましたね。昔、大阪開発部から東京へ移るときって、最初は単身赴任でホテルで暮らしていたんですよ。その時にFF6のロムをもらって、毎日仕事が終わってホテルに帰って、延々FF6をやっていたんですよ。そういう生活を3ヶ月くらいしていました。

――その時に、シミュレーションゲームを作っていらしたとか?

 それは『スーパーマリオRPG』の前ね。東京に移って、開発6部というところに所属して、まだ全然何作るか決まっていなくて、スタッフのほうで、そういうのをやると面白いかもねってというのをちょこちょこやっていたので、経歴的には「シミュレーションゲーム的なものを研究」ぐらいしか書いていないんですけど、ゲームになる手前ぐらいまでの状態で、全然なにも作るっていうことではなかったですね。そんなことをやりながら、『スーパーマリオRPG』のお話が来たんですよね。これは任天堂とスクウェアで、会社の上層部同士の話があったと思うんですけどね。

――そうすると、元のチームは別に活動されていたんですね。

 そうですね、ルドラとか。当時は1人だけこっちに来たので、全く別で動いてましたね。

――それで、結果的にマリオRPGとルドラがほぼ同時に発売ということになりましたね。

 『スーパーマリオRPG』って、出るときはすでにスクウェア本体がプレステに行ってたので、だからすごいビミョーなコなんですよ。かわいそうに・・・

――でも、かなり売れましたよね?CMも記憶に残っていますし。

 あれは未だに、今まで自分が作った中では一番よくできているゲームだと思います。

――そうなんですか!

 ゲームの中の仕掛けの部分というか、マップも自分で直接がっつり描いて作ったので。プログラマーが優秀だったんで、プログラマーがベースを作ってくれて、自分はその上に乗っかるスクリプトで作りました。だいぜんぶ、滝落ちから川を流れるやつ[ワイン川くだり]ですとか、坂道を上がるやつ[ブッキー坂]とか、パタパタを飛んで崖を登るやつとか、そういうイベントを全部作っていたんですよ。あれはめっちゃめちゃおもろかったですね。作っているのも面白かったし、遊ぶのも面白い。いいゲームですよ。

――そろそろお時間ですね。今日はありがとうございました。

 ありがとうございます。本当にそうやって覚えてもらえている人がいるというのは嬉しいですね。

――他の方は有名になっていたりもしますが、個人的に好きなのはこの辺りなので。

 マニアックですね。

――いえ、まあ・・・スタンダードですよ。

 それはそれは・・・ようこそ!


(インタビュー終了)


限られた時間で当時の状況について、有意義なことを多く語ってくださいました。ミスティッククエストの日本での発売はあまり期待されていなかったというのは意外ですが、マリオRPGに関してはとても思い入れがある様子がうかがえました。
思い返してみればマリオRPGには無数のミニゲームが詰まっていて、3Dの技術を使いながらも落ちたら死ぬような単なるジャンプアクションにせず、アイデアをたっぷり盛り込んだ点に不朽の名作たるゆえんがあるのではないかと思います。
何気なくルドラの名前が出てきたのも、他での忘れられっぷりから考えると実に嬉しいところです。
なお、『ボルフェスと五人の悪魔』については度々おすすめしていただきましたので、皆さんもぜひともプレイしてみてください。
藤岡さん、本当にありがとうございました。



記念にサ・ガ3の攻略本にサインしていただきました!




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