刊行情報から見るゲーム雑誌の歴史

Gayaline

 これまでのゲーム雑誌調査のまとめとして、「ゲーム雑誌の歴史」を大胆にも語ってみたいと思います。知っている内容の性質上完全なものでは決してありませんが、それでもゲーム雑誌の変遷の一側面がわかるはずです。


 これまで「ゲーム雑誌のジャンル・刊行期間データ」や「ゲーム雑誌の刊行時期一覧表」、および記事をいつくか作ってきたが、最後にそのまとめとしてゲーム雑誌の歴史について述べてみたい。

 最初に注意しておきたいが、ゲーム雑誌に関して知っているのはファミマガ関係を除いて上記ページに載せた情報のみ、つまり雑誌の内容についてはほとんど把握できていないので、以下で述べる内容もほぼ刊行情報のみからわかることだけである。したがって不十分な点は大いにあるので、わかる部分だけの話、ということで理解していただきたい。

 ゲーム雑誌に関しては、他にも『ゲーム雑誌ガイドブック』の記述や、ネット上にあった「ゲームメディアの成熟と転換」などでも語られているが、それらにない点も多少含まれていると思う。

ファミコン雑誌誕生まで(83-86年)

 ゲーム雑誌の歴史は、当然ながらゲームの歴史と並行しており、その誕生も同時期だったが、ゲーム雑誌の方には少々複雑な経緯が存在している。1970年代終わりから80年代初頭にかけて、パソコン(当時はマイコンと呼ばれていた)が個人でも入手可能になり、徐々に普及していくと、パソコン雑誌も多数生まれた。当時のパソコンはプログラムを入力することでゲームを動かすことができ、『マイコンBASICマガジン』などのパソコン雑誌はそのコードを掲載していたので、読者はそれを打ち込むことでゲームを入手することができた。

 同時期に存在していたのがアーケードゲームである。インベーダーブームは1978-79年ごろのことで、その後も数々のアーケード作品が生まれており、パソコン雑誌もアーケードゲームの情報を掲載していた。その中で、パソコンやアーケードゲーム専門誌として1984年に生まれたのが『Beep』である。この時にすでにファミコンは存在していたが、初期は扱っていなかったという。

 ファミコンは徐々に人気となり、1985年のスーパーマリオブラザーズで大ブームを迎える。マリオの攻略本が書籍年間売り上げのトップとなったほどだ。そこでファミコン専門誌を作ろうという考えも生まれるが、当初はファミコンブームも一過性に終わるのではないかとか、毎月載せるだけの内容があるのかという不安があり、なおかつ任天堂の広報にも大丈夫かと心配されたらしい(『超実録裏話ファミマガ』参照)。そのような経緯で1985年に誕生したのが『ファミリーコンピュータMagazine』で、元々はパソコン誌『テクノポリス』の増刊として企画されていた。初期は新作情報収集や攻略のノウハウがなく、ファミリーベーシックのプログラム記事が多いなど、パソコン雑誌の形式もかなり引き継いでいたようだ。

 さて、蓋を開けてみるとファミマガは瞬く間に売り切れ、1号あたり10万部、20万部、30万部とどんどん売り上げも増加していった。この様子を見て他社も次々とファミコン誌に参入、『ファミコン必勝本』『マル勝ファミコン』『ファミ通』の4大誌だけではなく、『ハイスコア』『ファミコンチャンピオン』『ゲームボーイ』が創刊された。アーケード人気も継続しており、同時期に『ゲーメスト』が創刊している。

ゲーム機多様化の時期(87-94年)

 ファミコンの成功を追いかけ、ゲーム機も87年のPCエンジン、88年のメガドライブ、89年のゲームボーイと多数投入される。またPCの側にもゲーム向きのMSXやより高級なゲームパソコンが作られていった。雑誌もこの状況に合わせ、ハードごとに専門誌が刊行されるようになる。『PC Engine Fan』や『MSX Magazine』、『Beep! Megadrive』などである。

 とはいえゲーム雑誌はどんどん増えていったわけではなく、飽和して整理されるようにもなる。たとえばゲームボーイにも『GB Press』などの専門誌が存在していたが、あまり長続きしなかった。多くの雑誌はGBはFC・SFCと一緒に扱うという選択をしており、ハードが複数あってもメーカーごとに雑誌を統一する、というメーカー別雑誌の考え方がこの時期に普及したのであろうと思われる。またこの時期にPC雑誌はかなり下火になり、95年までで『Popcom』『テクノポリス』『MSX Magazine』などが相次いで終了してしまった。

 他方で新たに生まれたのが美少女ゲーム誌のジャンルである。『Pascomo Paradise』『Bug Bug』などが扱っていたのはPCのアダルトゲームで、その後全年齢向けのゲーム・アニメキャラ雑誌にシフトしつつ、現在にまで至っている。

ゲーム機戦争と雑誌のピーク(95-2001年)

 ゲーム雑誌のデータ分析の「年ごとの刊行されていたゲーム雑誌数」を見れば明らかだが、ゲーム雑誌が最も多く刊行されていたのはこの時期である。この時期の出来事として、PS、SS、N64の次世代機の登場がある。人々の間でゲーム機戦争のイメージも確立し、多くの人がソニー派、セガ派、任天堂派に分かれて対立するようになった。ゲーム雑誌もそうした派閥の集会場として最適だったようで、SSは最大8誌、PSは6誌とファミコン時代以上に多数の雑誌が刊行された。

 この中で乗り遅れたのは任天堂である。N64は発売も遅れ、売り上げもSSと同程度、PSの3割程度だった。そのような状況で、任天堂についていった雑誌は苦境に立たされた。ファミコン時代の4大誌のうち、ファミコン必勝本とファミ通、マル勝は総合誌にシフトし、ファミマガは出版社の都合もあり休刊してしまった。その後Nintendoスタジアムとして復活したとはいえ、ある意味全滅である。

 このようなハードが群雄割拠する状況では、どれかのハードに固執せずにまんべんなく扱うという考えが出てくるのも当然だろう。少なくともファミ通は早期にその路線にシフトしてうまくいっている。しかしそれを追った『マル勝ゲーム少年』や必勝本の後釜『攻略の帝王』はすぐに休刊してしまった。これはつまり、ハード間の派閥が定着しており、どれかに属している人はその専門誌を買うし、まんべんなく知りたい人はファミ通で十分ということなのだろう。ゲーム雑誌がゲームハード間の争いに貢献した側面はかなり大きいといえそうだ。

 また、この時期に大量発生したのが『Game Walker』『じゅげむ』などのカジュアルゲーム雑誌である。これらは一般の娯楽情報誌の装いで、ゲームを他のエンターテインメントと一緒に扱っていた。他にも『Gameぴあ』や『Game Spa!』など大手が次々とこの路線に参入したが、どれもあまり長続きしなかった。しかしこうした雑誌の登場は、95年ごろにはゲームは子供とオタクだけのものではなく、一般人が普通に遊ぶものとして普及しきったという状況を表しているように思われる。

 ゲーム雑誌市場が拡大すると、次第にマニアックな内容に特化した雑誌を出す余裕も生まれるようになる。そういうわけでこの時期に刊行されたものとして、CDで体験版をつけて好評を博した『ファミ通Wave』やレトロゲームに再度注目した『ユーズド・ゲームズ』、ゲーム改造中心の『ゲームラボ』、ゲームやゲーム業界を批判的に扱った『ゲーム批評』、ゲーム業界の動向を紹介する『デジタルメディアナビゲーター』などのテーマ特化の雑誌が多数創刊された。

 最後に、任天堂系列の雑誌もポケモンブームに乗って逆襲を始めた。テレビのポケモン対戦番組と連動した『Nintendoスタジアム』をはじめ、現在まで続く『Nintendo Dream』や、ポケモン攻略に定評のあったティーツー出版も雑誌をもつようになった。以前「Nintendoスタジアムから読み解くゲーム史」で書いたが、ポケモンブームは低年齢層を再度ゲームに引き付ける影響をもたらしたのであり、雑誌においてもキッズ向け情報誌が活性化した。

停滞と新たな方向性(2002-09年)

 ゲーム機戦争からセガが脱落してもなおゲーム業界自体は元気であり、2006年にはPS2、DS、Wiiによって市場規模は過去最大に達したが、その一方でゲーム雑誌は停滞していた。ブーム直前の2005年ごろにはハード専門誌、総合誌ともにかなり数が減少し、その後少し増えたものの以前の水準には届かなかった。これは何より、ネットの普及により新作ゲーム情報とゲーム攻略というゲーム雑誌の存在意義といえるものが徐々に失われていったためだと考えられる。

 それでも、この時期にはこれまでになかったジャンルのゲーム雑誌が多く創刊されている。1つはオンラインゲームの雑誌であり、『Online Games』をはじめとして2009年ごろまで数誌刊行された。また『B’s-Log』や『COOL-B』などの乙女ゲーム専門誌もこの時期に生まれ、『キャラぱふぇ』のような子供向けファンシーキャラ雑誌も存在している。さらには『ポケモンファン』や(2011年創刊だが)『ビバ!テイルズオブマガジン』などの特定作品に特化したファンブックといえる雑誌も徐々に増加した。全体としてこれらの新ジャンルは、「キャラ」志向が中心であるように思われる。それ以前は男性向けの美少女キャラのみが対象だったが、それが全年齢に拡大していった状況が現れている。キャラクタービジネスの拡大とも関連するのだろう。

ゲーム雑誌の黄昏(2010年-現在)

 ゲーム雑誌業界が決定的に縮小したのはこの時期、とりわけ休刊が相次いだ2015年以降である。上述のキャラクターもの以外のほとんどの雑誌が消滅し、純然たるゲーム雑誌といえるものは現在ではわずかとなっている。

 唯一の新ジャンルといえるものが2011年から増加したモバイルゲームの雑誌であるが、これらはモバイルゲーム市場の毎年の拡大とは裏腹に、わりと短命で終わっている。モバイルゲームはアップデートによる変更が頻繁で、書籍として出していてはそのスピードに追い付けないということがあるのかもしれない。

 いずれにせよ確かなのは、書籍業界の縮小と、ゲーム業界のモバイルゲーム以外の縮小のダブルパンチを食らって、ゲーム雑誌は2010年代後半に一気に激減したということである。『eスポーツマガジン』のように昨今の状況下でもなお生まれる雑誌もあるが、全体としてはやはり危機に陥っていると言うしかないだろう。

ゲーム雑誌年表

 以上の内容を年表にまとめるとこのようになる。

これだけでは決して、ゲーム雑誌の歴史において起こったすべてのことをカバーすることはできないが、全体の拡大・縮小傾向や各時代の流行などは把握できると思われる。ひいてはゲームの歴史の理解に寄与するところも大いにあるだろう。

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