ゲーム資料紹介:『ゲーム雑誌ガイドブック』

Gayaline

 ゲーム業界の状況についての一連の調査で、前回はゲーム雑誌と書籍の現状を明らかにしました。さらに詳しい調査を行おうとした矢先に、ちょうど良く『ゲーム雑誌ガイドブック』(さやわか著、三才ブックス)という本が刊行されたので、今回はその内容を紹介しようと思います。

早速『ゲーム雑誌ガイドブック』の内容を見ていくと、そのタイトル通りゲーム雑誌の草創期から黄金期の終わり(2000年まで)に至る50冊以上のゲーム雑誌を、詳細な解説付きで紹介した一冊である。

 全体は時代とジャンル別にパソコンゲーム誌、ファミコン誌、機種専門誌、PS&SS誌、64期の任天堂誌、マニア向け雑誌と改造誌、アダルト・美少女ゲーム誌の7章に分かれており、個々の雑誌は豊富な雑誌の画像とともに紹介されている。

ゲーム雑誌の内容の変遷

 本書は雑誌の刊行期間は記載されているものの、網羅的ではないので雑誌のデータベースとしてはそこまで決定的ではない。しかしだからといってつまらないものでは全くなく、本書のウリは個々の雑誌のディープな解説にある。その内容は雑誌の傾向の変遷を踏まえたもので、たとえば『ログイン』であれば真面目なパソコン誌→お笑い路線→海外ソフトからの脱却とゲームへの集中、という内容の変化が解説されていたり、『Beep』は創刊当初はファミコンなどの扱いは小さく、セガ路線に向かったのも比較的後のことだった、と誤解を正す記述がなされている。

 また雑誌相互の個性や違いにも詳しく、『ザ・プレイステーション』と『PlayStation Magazine』と『HYPERプレイステーション』と『電撃プレイステーション』がどう違うのかといったことについても教えてくれる。ちなみに実際どう違うかというと、ザプレは元々は業界動向を伝える堅い雑誌だったが後にはスタンダードに、プレマガは個性が今一つ出せず、HYPERプレイステーションは個性が薄いが珍妙な記事もあり、電プレはビジュアル重視路線が好評という差があるという。当時も複数の雑誌を同時に読んでいた人はそういないだろうから、こうした違いを知れるのもきわめて貴重なことだろう。

 総じて言えるのは、本書はゲーム雑誌の歴史を知るのに最適ということだろう。ゲーム雑誌がどのようにできて、どう変化し、消えていったかということに関しては圧倒的な情報量である。

雑誌からわかるゲームの歴史

 そして、ゲーム雑誌の歴史がわかるということは、ゲームの歴史もわかるということである。ゲームの歴史を知りたいんだったらただソフトを集めるのではなく雑誌を読まなければダメということは以前から言っているが、まさに本書もそれを示している。雑誌の内容の変遷を知れば、最初は海外のPCゲームが紹介され、ファミコンの大ブームが到来し、PCEやメガドライブにコアなファンが生まれ、PSとSSが大いに花開くといったゲームの歴史が存分に理解できる。なおかつ、64時代に任天堂ファンが現状に危機感を覚えている様子や、ゲーム改造の流行と衰退、中古ソフト撲滅運動への反対など、ソフトの発売だけを見ていてはわからないようなゲーム業界の出来事もうかがい知ることができる。

 一つ惜しいのは、そのゲームの歴史が途中で途切れることである。これは何より雑誌の黄金期が2000年頃で終了するせいだが、それ以降のもの、たとえば個人的に詳しい『Nintendoスタジアム』が載っていないなどの点は少々不満もある。DSブームで雑誌がどうなったのかなども知りたかった。

ゲーム雑誌の役割とは

 本書からわかる何より重要なことは、ゲーム雑誌はゲーム産業の中でとても重要な役割を担っていたということである。すぐ思い浮かぶ雑誌の役割としては、新作情報の紹介やゲームの攻略、ファンコミュニティの形成などが挙げられるが、過去の雑誌が行ってきたことはそれだけではない。たとえば『コンプティーク』は当時堅くて暗いイメージだったパソコンを「楽しければ何でもOK」の方針によりコンピューターを使う人が楽しめるものに変えたという。それだけではなく、今は失われたゲーム雑誌の役割として「ゲーム業界の批判」があったことが語られている。広告を排除しかつ業界動向を批判的に追った『ゲーム批評』はもとより、格ゲー一本の風潮に『ゲーメスト』が異議を唱えたり、『ハイスコア』がユーザーのゲームへの怒りのコーナーを載せたり、『グレートサターンZ』が中古問題でメーカーと対立したりと、単純にゲーム会社の広告塔ではない役割を雑誌が果たしていたことがわかる。

 極めつけは『電撃PlayStation』の業界動向ページの終了騒動に関する記述である。

かつてはそういう、書き手の主観に基づいた記事が載ることもゲーム雑誌の楽しみのひとつでした。ゲームのジャーナリズムは世間一般に近い位置にあるものとして、業界の動向について好き勝手なことを言ったり、あれこれとゲーム作品について妄想を繰り広げることができた時期も、あるいは雑誌も、あったのです。

 しかしゲーム雑誌の中心が新着情報やビジュアル要素、インタビュー記事などになり、すなわちメーカーサイドの協力が全面化して記事が作られる時代には、そうした内容は排除されていきます。読者であってすら、メーカーやクリエイターのオフィシャル情報を読むために記事を眺めるようになり、なおさら需要は減っていきます。攻略情報だけでなく、そういう記事も今のゲームメディアからは失われたと言っていいでしょう。(p.119)

この箇所はことさら筆者の心がこもっているように感じられたし、今までゲーム雑誌のそういう役割を考えていなかったので目から鱗だった。こうしたジャーナリズム的役割には大いに意味があると思われるが、果たして現在のゲームメディアはそれを行えているだろうか。ゲーム業界や個々のソフトへの不満などは今はもっぱら匿名掲示板のトピックだが、たとえ雑誌という形態が時代遅れだとしても、その内容を広く伝える方法がないものだろうかと考えたくなる。

 本書はゲーム雑誌の隆盛を追っているだけあって、その規模が劇的に縮小した現在を論じると、どうしても「ゲーム業界はどんどん衰退していっている」という悲観的な雰囲気にならざるを得ない。しかしこれまでの記事で書いたように、その衰退は事実であり、特にゲーム雑誌はそれが顕著である。過去の状況を十分に知っているならば、現在に対して批判的であったとしてもそれは懐古などと片付けられない、より真摯な訴えだといえる。そうした点も含め、ゲームの歴史を理解できる本書は非常に稀有な存在である。

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