キャラゲーからFFへ……中里氏とコブラチームの道のり

Gayaline

 前回は、いわゆるコブラジョジョを作った中里尚義氏のインタビューを掲載しましたが、彼のその後の経歴は調べてみるとかなり面白いことが判明しました。キャラゲーが意外なゲームと結びついていることがわかったのです。今回はその中里氏を中心に、コブラチームがその後どうなったかについて調べてみました。


用いた資料

 調べるにあたって参考にしたのは、前回のVジャンプ1992年12月30日号と、スクウェアスタッフの繋がりを徹底的に調べておられるSubeakiさんのページ「スクウェア大事典」、そして昨年発売された書籍『ゲームドット絵の匠 ピクセルアートのプロフェッショナルたち』(ホーム社)。この書籍には中里氏と、トーセからバンダイに移った田中庸介氏、さらには橋本名人こと橋本真司氏へのインタビューが収録されており、バンダイのキャラゲー作りやコブラチームについて豊富な情報を伝えてくれる。これらを以下で参照する時は、それぞれ「Vジャンプ」「大事典」「ピクセル」と略す。

ファミコン期

 中里氏はD&Dというデザイン事務所に入り、バンダイはそのクライアントの一つだった。パソコンRX-78のグラフィック制作などを経て、「オバケのQ太郎ワンワンパニック」ではじめてファミコンに関わる。本作は開発はトーセだが、D&Dは企画とデザインを担当していた(ピクセル)。その後中里氏はドラゴンボールシリーズすべてとまじかる☆タルるートくん、聖闘士星矢、ファミコンジャンプなどを担当(Vジャンプ)。このうちドラゴンボールの数本で、スタッフロールに「D&D CORP.」とあるのが確認されている(それ以外のゲームはD&Dや中里氏の記載なし)。バンダイのファミコンキャラゲーの制作元はほとんどがトーセとされているが、同時にD&Dも多くの部分に関わっているようだ。書籍の対談で語られている内容によると、最初にD&Dが企画とデザインを行い、その後トーセでデザインの修正をしつつプログラムを行っていたと言われている。これは今まで知られていなかったことである。

 この際の担当は第一にグラフィックで、中里氏は田中氏とともにバンダイの多くのキャラゲーのドット絵を描いている。また当時は役割分担があまりなく、ファミコンジャンプでは中里氏が企画、デザイン、指示と多くの役割をこなしている。

コブラチームの立ち上げ

 中里氏はSFCの「ドラゴンボール 超サイヤ伝説」を作った後、1991年に橋本真司氏(橋本名人)とともに株式会社コブラチームを立ち上げた(ピクセル)。橋本氏はバンダイで(開発部にもかかわらず)ファミコンゲームのプロモーションを担当していた人物で、雑誌などでの宣伝に加えファミコンジャンプのプロデュースを行っていた。バンダイの「ポケットザウルス 十王剣の謎」には橋本名人が主人公として登場している。

 コブラチームの代表作はなんと言ってもSFCの「ジョジョの奇妙な冒険」であるが(その制作の様子については前回のインタビューを参照)、本作のプログラムやサウンド、グラフィックはウィンキーソフトが請け負っており、コブラチームの担当は主にゲームデザインやプロデュースのようだ。他にはSFCの「サンダーバード 国際救助隊出撃せよ!」、「バスタード 暗黒の破壊神」およびACのドラゴンボール2作を発売しているが、1994年以後のソフトが存在しないので、トップの移籍に伴い解散したと思われる(大事典)。

 中里氏も橋本氏もコブラチーム時代のことについては多くを語っていないが、橋本氏はコブラチームの社長、中里氏はコブラチームの開発責任者だったようである(Vジャンプ)。

スクウェアへの吸収

 1994年に中里氏はスクウェアの坂口博信氏に声をかけられ、スクウェアに移籍することになる(ピクセル)。この出来事は実際はスクウェアによるコブラチームの買収だったようだ(下記参照)。中里氏はプランナーとしてスクウェア(正確にはソリッド)に入り、最初に関わった作品が1995年のフロントミッションである。橋本氏は書籍ではクロノトリガーのプロデュースを担当と書かれているが、スタッフロールにはスペシャルサンクスとしての記載しかない。フロントミッションではプロデューサーで記載されている(大事典)。

 追記:Subeaki氏の情報提供によると、コブラチームは1994年1月にスクウェアに買収され、100%子会社となったことが判明した。その際にコブラチームは「ソリッド」に名称を変更している。ソースは1999年度の有価証券報告書。この資料によると、ソリッドは「ゲームソフト開発の外注管理」を担当している。確かにガンハザードのスタッフロールには中里氏の名前の後に「SOLID」と記載されており、その他外注を行っているブシドーブレードや双界儀、サイバーオーグのスタッフロールにソリッドの名前があるので、外注管理とはこうした仕事を指していると思われる。同社はエニックスとの合併の際に非連結子会社となり、2008年にスクウェア・エニックス・ホールディングスに移行する際に姿を消している。コブラチームはある時期から突然姿を消すが、実際はスクウェアに買収されていたのである。

 その後中里氏はFF7、8、10、13、15と本流FFシリーズの多くにプランナーとして関わっている(大事典)。現在はFF15を手がけたスタッフがスクエニ内で発足させた株式会社Luminous Productionsに在籍。橋本氏は多数のスクウェア・スクエニ作品のプロデュースを担当しており、現在は第3ビジネスディビジョンのディビジョンエグゼクティブの地位にいる。

コブラチームとは何だったのか

 今回の情報からわかるのは、コブラチームはバンダイのスタッフが独立してできた「小バンダイ」だったということである。そのメンバーには中里氏などゲーム制作を行える人物もいるが、どちらかと言うとパブリッシャーの役割を果たしていることが、各作品でさらに下請けに開発を頼んでいることからわかる。つまりバンダイがやっていたのと同様に、原作を選び著作権などの交渉を行い、ゲームデザインのアイデアを出して開発会社に指示するという活動を行っていたのがコブラチームなようだ。この点は、キャラゲー制作に長けたスタッフをそろえていたのでまさに強みだったといえる。

 しかしその活動はわずか2年で中断し、多くのスタッフがスクウェアに移籍することになった。ドラゴンボールなどのキャラゲーの血が、そしてコブラジョジョの血が、なんとFFに流れていることがわかったのである。これはゲーム史上の奇妙な事実と言う他ない。このことを考えると、コブラジョジョを見る時もなんとも複雑な気持ちになってくるものである。

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