誰が『ルドラ』を創ったのか?
〜スクウェア大阪スタッフの調査〜

ルドラの秘宝18周年を機に始めたルドラ研究は、これまでグッズ、雑誌、ファンサイト、攻略サイトについて調べてきました。
その研究の仕上げとして、ルドラを創ったスクウェアのスタッフについて調査することにしました。
もちろん、おおまかに「スクウェア大阪」がルドラの制作チームであることは知られていましたが、
そのスクウェア大阪はどうやってできたのか、他に何を作ったのか、その後どうなったのかということ、
またグラフィックやシナリオ担当など個々のスタッフの情報はほとんど明らかになっていません。

そうした状況において、ここでは「ルドラ以前」「ルドラの制作」「ルドラ以後」に分けて、
ルドラを制作したスタッフがどのように集まって、その後どうなったのかを調べていきたいと思います。
この記事を読めば、ルドラの凄まじすぎるドットアニメを作ったのは誰なのかという疑問や、あのストーリーや言霊システムは誰が考えたのかという疑問にも答えられるはずです。
ここでは同時に、関連作品である『サ・ガ3』や『FFUSA ミスティッククエスト』の成立過程もわかるようになっています。

調査には基本的にゲームのスタッフロールから読み取った情報を用いています。
ある程度は自分で調べたものを使いましたが、多くのデータとスタッフロール読みの手法の教示に関して、Subeakiさんに大いにご協力していただきました。
ここにお礼を申し上げます。
また、藤岡千尋氏へのインタビューと、cokEtoriさんが提供してくださった『じゅげむ』記事からも、非常に重要な情報を得ることができました。
お二方に対しても、心より感謝いたします。

それでは、以下に『ルドラ』の制作過程を記述していきましょう。
一部ではスタッフの敬称を省略しておりますので、ご了承ください。


『ルドラ』以前 〜サ・ガ3チーム結成とその後の展開〜

クリスタルソフトの作品とスタッフ

時は1980年代。大阪に「クリスタルソフト(XTALSOFT)」というパソコンゲームメーカーがあった。
すべてのRPGの源流たるWizardryとウルティマが発売されて間もなくの1984年に、ほぼ国産初といえるRPG『夢幻の心臓』を制作し、同シリーズの3まで発売したほか、
『リザード』『ファンタジアン』『クリムゾン』などRPGやアクションRPGをPC用に次々と制作、『ハイドライド』のT&Eソフトや『ドラゴンスレイヤー』の日本ファルコムと並ぶ、国産RPG黎明期の立役者であった。
クリスタルソフトは1990年までの10年間に20本を超える作品を発売するが、同年にT&Eソフトに吸収合併されることになり、所属していたスタッフはさまざまなゲーム会社に移籍した。石田龍彦氏や木下由美氏など、T&Eソフトにそのまま所属するスタッフもいた。

同じくクリスタルソフトに所属し、『リザード』『ボルフェスと五人の悪魔』『アスピックスペシャル』『夢幻の心臓III』などの作曲やプログラムを担当していた藤岡千尋氏は、
PCゲーム制作会社仲間であったスクウェアが大阪に開発部を作るという話を受け、同僚の井出康二氏や笹井隆司氏とともにスクウェアへ移った。
なお笹井氏は、『夢幻の心臓III』『クリムゾンII』『クリムゾンIII』といったクリスタルソフト作品の作曲をしていたものの、他にも多数のゲーム会社の仕事を受けており、同社に正式に所属していたわけではないようだ。

『サ・ガ3』チームの結成

1990年に設立されたスクウェア大阪開発部だが、藤岡氏らに加えて何人かのスタッフが他のゲーム会社から集められていた。
現在明らかになっているのはニチブツ(日本物産)から藤井武夫氏と安田由紀氏が参加していることである。
両者はこれまで『テラフォース(AC)』『コスモポリスギャリバン(FC)』『ダイハード(PCE)』などのゲームを開発している。
その上、藤岡氏の証言によると、タイトーとコナミからも移籍したメンバーがいるらしい。
『サ・ガ3SOL』のインタビューによると、京念秀史氏はスクウェア以前に別の会社に所属していたようなので、彼がそれに該当する可能性があるが、
この点については両社のスタッフを詳しく調べてみる必要がある。

このように複数の大阪のゲーム会社から移籍したメンバーによってスクウェア大阪チームが結成され、91年12月に『サ・ガ3』は発売された。
前年発売の『サ・ガ2』とは、イラストの藤岡勝利氏を除いて開発スタッフはまったく共通しておらず、ここにサ・ガ3がサガシリーズの中でも異質な理由の一つがある。
内容の面でも、ミスティッククエストと共通している部分が多くあり、やはりサ・ガ3はスクウェア大阪のRPGである。

サ・ガ3とクリスタルソフトを結び付けるもう一つの兆候として、クトゥルフ神話の要素がある。
サ・ガ3では具体的な固有名詞の引用は少ないものの、モンスターのグラフィックや地形にクトゥルフ神話が反映されていることが明らかになっている。
これは夢幻の心臓IIIも同様で、ルドラにもわずかに見られる。これは全作に共通するスタッフの井出康二氏によるものだと、藤岡氏が語ってくれている。
他にも、メルローズやシリュー、モズマにボルフェスといったサ・ガ3のキャラ名の多くがクリスタルソフト作品からとられているようだ。

ここまでのスタッフの流れをまとめると以下の図のようになる。


『FFUSA ミスティッククエスト』の制作

次にスクウェア大阪チームが92年に制作・発売したのが、FF外伝の扱いであるミスティッククエストだ。
よく勘違いされているが、本作は「アメリカ発のFF」ではない。
ミスティッククエストはスクウェア大阪がアメリカ向けに開発したものであり、日本語版はそれを逆輸入したものだ。
正確には「アメリカ風FF」とでもいえるだろうか。
しかしプレイすればわかるように、その感触はFFよりサ・ガ3に近い。
実際、制作スタッフはキャラクターデザインの藤岡勝利氏を除くサ・ガ3チーム全員が参加しており、
それに新規メンバーを加えた形になっている。
新規メンバーの中にはスクウェアで初めてゲームを作るスタッフもいると思われるが、
神崎健三氏がニチブツから、吉岡加寿彦氏がクリスタルソフトから(吸収合併後の所属は不明)移籍しており、
引き続き周囲のゲーム会社からの人員増強も行われていたことがうかがえる。

なお、日本語版のスタッフロールにはニックネームで書かれている人物がいるが、
英語版と比較すると「ポポさん」は井出康二氏、「マッド キッカー」京念秀史氏、「さおさん」は壁雅弘氏のことであると推測できる。
特に最後のものは密かにルドラに関係しているだけに興味深い。

ミスティッククエストはほぼ1年後の93年9月に日本でも発売されるが、これは北米版の発売時点では全く想定していなかったことらしい。
その後藤岡氏は少なくとも94年の4月までにはすでにスクウェア大阪を離れ、東京の開発6部へ移り、『スーパーマリオRPG』の制作に携わることになる。
だがこれとほぼ同時進行で、スクウェア大阪ではルドラが制作されていたのである。

この時点でのスタッフの流れをまとめてみよう。


『ルドラの秘宝』の制作 〜誰が、どのようにして創ったのか?〜

ルドラのスタッフ情報

いよいよルドラ制作の状況の記述に入ろう。
まずはスタッフロールから読み解ける内容を解説する。

ルドラのスタッフを見ると、藤岡氏、森田正徳氏、下地美和子氏、百瀬季之氏(スタッフロールの誤植の可能性があり、「H.MOMOSE」が氏にあたるならば参加している)を除いたサ・ガ3のメンバーと、
ミスティッククエストで追加された人員の大半が参加しており、
さらに同数近くのスタッフが加わり、前作の倍近くの制作規模になっている。
河津秋敏氏もスーパーバイザー(監督者)として参加しているが、氏はほぼ同時期に『ロマンシングサ・ガ3』の開発を行っており、
部署の所在も離れていることから、ルドラの制作に対する関与はほぼないものと考えられる。

以下に、ルドラ制作に深くかかわっている主なメンバーを、担当部門別に挙げてみよう。
なお、ルドラのスタッフロールは「名前イニシャル+名字」という形なので、個人の特定にはある程度の推測が含まれているが。珍しい名字の場合はほぼ確定と見ていいだろう。

ディレクター
井出康二
シナリオグラフィック
井出康二(シオン・デューン)
河原勝吉(サーレント)
京念秀史(リザ)
クラウド(イラスト)
壁雅弘(フィールド)
奥谷雅司(フィールド)
安田由紀(オブジェクト)
小島雄一郎(モンスター)
堀田千太郎(エフェクト)
バトルサウンド
片岡正博(プラン)
田中元陽(プラン)
田中真吾(プログラム)
吉岡加寿彦(プラン・プログラム)
笹井隆司(作曲)
川上康広(エンジニア)
市川宏吉(プログラム)
システムマップ
五藤聖高(プログラム)
藤井武夫(ツール)
京念秀史(プラン)
八木正人(プラン)
濱名貴史(プログラム)


ここではミスティッククエストから新たに参加したスタッフは青色、ルドラから参加したスタッフは赤色で表示している。
ただし、ミスティッククエストでスペシャルサンクスだった場合はカウントしていない。大まかに言って、赤色のスタッフは「新人」と考えてよいはずだ(堀田千太郎氏は元SNK所属のようなのでゲーム制作は初めてではない)。
他にも挙がっているメンバーはいるが、スタッフロールの表示順が関与の大きさを表していると考えると、主なスタッフはこの通りである。

この中で、片岡正博氏は現在所属しているスタジオリールの公式サイトによると『倉庫番』のシンキングラビット出身であり、
河原勝吉氏は元クリスタルソフトで、初期に『夢幻の心臓』『ファンタジアン』を制作した後にニチブツへ移った可能性がある。『ライサンダー』に「K.KAWAHARA」の名前があるためだ。
これに加えてオブジェクトグラフィックの「T.MAEDA」が前田武史氏(担当が異なるので可能性は低い)ならば、4名が元クリスタルソフトと、サ・ガ3の時より多いことになる。
小島雄一郎氏、田中元陽氏、奥谷雅司氏は日本語版ミスティッククエストのスペシャルサンクスが初出であり、93年の段階では入社してまだ日は浅いように思われる。
八木氏と濱名氏に至ってはその後の入社のようであり、ルドラが初作品であることは間違いない。
ここからわかるように、ルドラはこれまでの2作と異なり、メインメンバーに限っても半数近くを新人が担当している。
ここからスクウェアでのキャリアをスタートした人物も多く、ルドラは新たな人材を育てる役割を果たしていたことも明らかになる。
とはいえ、そのせいで未熟な内容になっているかと言われれば、まったくそうではないことはプレイすればわかるだろう。
ここまでのスタッフの流れはこのようになる。


スタッフロールからわかるのはこんなところだが、今回は奥の手とも言うべききわめて貴重な資料を入手している。それを次に見ていこう。

インタビュー記事の内容

攻略本へのスタッフの参加もファンブックもなかったルドラだが、おそらく唯一の雑誌インタビュー記事が存在している。
それが『じゅげむ』96年5月号No.13である。この号は国会図書館になく入手は永久に不可能かと思われたが、cokEtoriさんが奇跡的に保管していたものを提供してくださった。
これまで闇に閉ざされていたルドラスタッフの声を以下にお届けしよう。

インタビューを受けているのは井出康二氏、片岡正博氏、小島雄一郎氏、田中真吾氏である。
井出氏はチームリーダーと紹介され、ルドラの企画が3年前(93年)からあったこと、企画は言霊システムから始まったことが述べられ、言霊システムの発想については「日本人て言葉遊びが好きじゃないですか。知ってる言葉を言霊に変えるだけで、遊びの幅が広がるんじゃないかと」と語っている。
片岡氏はバトル企画担当で、知り合いと発見した言霊を交換する遊び方を提案している。おそらく言霊システムの成立に最も深く関わったと思われる。
小島氏は初作品と記されているにもかかわらずモンスターチームのリーダーで、モンスターのアニメーションについて「最近ポリゴンとかレンダリングによるCGアニメーションが流行しているのでそれにあえて対抗するためにも、ドット絵を動かそうとしたんです」と述べている。マユラは氏が直接デザインしたという。
最後に田中真吾氏は、戦闘シーンについて「キャラを動かすことを意識して作りました。ゲーム中はバトルの時間が長いじゃないですか、極力ストレスを与えないように努力しました」と述べている。
この他に、イラスト制作の過程において、開発用のイメージラフを雨宮慶太氏率いるクラウドがリファインしたことが右ページからわかる。
インタビューのタイトルは「ルドラへの挑戦、1095日間」とあるが、これはファミ通の広告にある「神への挑戦、16日間」という言葉に制作期間の3年をかけたものと思われる。
そのため、この文言がルドラのキャッチコピーであった可能性がますます高くなる。

このように、たった1ページの短いインタビューだが、スクウェア大阪がミスティッククエストの後ずっとルドラを制作していたことや、言霊システムがルドラの根本にあることがわかる、きわめて重要な内容となっている。
また、戦闘シーンがミスティッククエストとあまりに異なるという謎も、小島氏が大きく関与していたことを考えれば理解はしがたいが説明はつく。つまり彼があの滑らかなアニメーションをほとんど無から創造したのだ。
ストーリーに関する言及は少ないものの、『サ・ガ3SOL』のインタビューで京念氏はルドラが代表作と述べ、担当したリザシナリオについて語っていることを付け加えておこう。

これで、ルドラを誰が創ったのかという疑問には、ある程度答えられたように思われる。
次に、ルドラスタッフのその後について述べていこう。


『ルドラ』以後 〜スクウェア大阪はどこへ消えたのか?〜

スクウェア大阪スタッフはルドラの後はどうなったのか。
一言でいえば、ルドラ制作後そのスタッフは「バラバラになった」のである。
前兆は既に存在していた。ソース未確認の情報だが、スクウェア大阪事業部は95年11月に廃止されたらしく、
当然所属していたメンバーは東京へ移ることになっただろう(この事態がルドラのメディア露出の遅れをもたらした可能性がある)。
おそらく無所属だった元スクウェア大阪スタッフの多くは、『FF7』の制作に駆り出されたようだ。
田中元陽氏、片岡正博氏、八木正人氏など、何人ものスタッフがFF7に参加しているのが見られる。
そこにはニチブツ出身でルドラは未参加だった神崎健三氏もおり、この情報を提供してくださったMADMAXさんの「脱衣麻雀で培った技術がFF7や8の背景に活かされた」という発言には非常に趣がある。
ともあれ、残りのメンバーのうち藤井武夫氏は『チョコボの不思議なダンジョン』や『デュープリズム』、
壁雅弘氏は『ゼノギアス』や『ゼノサーガ』、
小島雄一郎氏は『ゼノギアス』に『サガフロンティア2』と、いくらかは重なるもののそれぞれ別の作品を手がけている。
加えて、肝心の井出氏はスクウェアを退社し、ゲーム制作も辞めてしまったようだ。
一方藤岡氏はというと、『スーパーマリオRPG』の後、スクウェアでいくつかのソフトを制作した上でアルファドリームを設立、『コトバトル』を開発している。
さらに2014年現在の視点からみると、京念氏はバレット、片岡氏はスタジオリール、小島氏はダブルロックゲームス、吉岡氏はフリーと、主要メンバーのほとんどが独立して、別会社を興こすなどしている。

以下に、最終的なスタッフの流れを図で示そう。


こうした状況ゆえに、ルドラ以後の同一の制作チームによる作品は存在せず、
井出氏が引退し、また藤岡氏によると大変残念なことに河原氏は亡くなっているようなので、同じメンバーが再結集することはありえない。
しかし、個々のスタッフはPS作品の多くに参加しているのだし、ルドラから参加したスタッフの何人かはその後大成して大物クリエイターとなっているために、
『ルドラ』の精神は散り散りになって後のスクウェア作品や、他社作品に受け継がれていると言っていいだろう。



以上、ルドラを創ったスクウェア大阪に所属していたスタッフの足跡を可能な限り追ってみた。
これで、ルドラをめぐるゲーム史の一部が明らかになったといえるだろう。
会社単位、ディレクター単位より細かなレベルでスタッフの足取りを追うことは難しいが、
ゲームは大勢で創るものであり、スタッフ一人一人が作品の中でそれぞれ重要な役割を果たしている。
そのため、個人レベルでスタッフを把握することは、ゲームの制作過程を記録する上できわめて意義深いこのであるように思われる。
今回はルドラ中心だが、この調子で調査を行ってゲームの歴史を明らかにしていけたらと思う。



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