ネタバレの果てしない闇
〜ゲームをもっと楽しむために〜


 「ネタバレ」という言葉はいくらか昔には存在しなかったもののように思われる。しかし今や、どんな情報でもネタバレの危険が警告されていると言っていい。
 では、どうしてそのようなことになったのか?その前に、なぜネタバレは避けるべきなのか、この問題について少々考えを巡らせてみよう。

ネタバレの二種類:「物語」と「攻略」

 ネタバレとは、一種の情報の先回りであり、通常の手段で知られるよりも早く情報を得てしまうことである。
 それでは何がネタバレの対象となるかであるが、ゲームの場合は大まかに「物語」と「攻略」の要素がある。このうち「物語」についてのネタバレはゲームに限らず、あらゆるテキストが含まれている作品に存在する。わかりやすい例が推理小説の犯人である。「攻略」についてのネタバレはプレイヤーが参加できるゲームに特有のもので、主に隠されているもの、ボスの弱点や隠しキャラが明かされることがネタバレに該当する。

ネタバレがダメな理由

 ネタバレが厳禁とされる理由は何であろうか。それは、ゲームの楽しみの一つである「発見的喜び」が失われるからだと考える。人は、「隠されているものには価値がある」と感じる傾向を持っている。これは価値があるものがしばしば隠されているからなのか、どちらが先かはわからないが、このことは六百年も前に既に世阿弥が『風姿花伝』で「秘すれば花なり、秘せずば花なるべからず」と定式化している。結果は同じ知識でも、自分で発見することに意義があるのだ。
 そしてネタバレは別の楽しみをも失わせる。それは言ってみれば「蓄積的喜び」とでも呼べるもので、「時間をかけたものは価値がある」という発想に基づくものである。ゴールが素晴らしいのではなく、その過程に価値があるということだ。キャラを育てる行為や多くのやり込みはこれに該当する。もっと身近な例では、「並んだラーメン屋は美味しい」ということは実感としてあるだろう。この考えによれば、苦労して手に入れたものには価値があり、その分喜びも大きいということになる。一方で、攻略本に従ってアイテムを見つけただとか、そういった過程で見つけたものに喜びはない。
 一応説明しておきたいが、ここで言及している喜びこそがゲームの面白さを構成するすべてである。画像がきれいだとか、音楽が凝っていることが面白さの原因ではない。きれいな画像や素晴らしい音楽に触れて喜ぶことこそが面白さなのである。むろんこの喜びの中には、ホラーでドキドキするものや意地悪な内容にイライラすることも含んでいるが、「感動」では大げさすぎるのでこの言葉を使っている。ともかくプレーヤーの感情が動かされないとゲームは面白くならないのである。

なぜネタがバラされるのか?

 ここまで悪いことづくめのネタバレがなぜ起こるのだろうか。それはおそらく、バラす側とバラされる側双方に責任がある。
 ネタをバラす側としては、ネタバレによって自分の知っていることを相手に伝えるという優越感が得られる。誰でも珍しいものを見たらそれを報告したくなるものである。だが、そのことによって結局相手がゲームを楽しめなくなることを留意しておかなければならないだろう。とりわけ、相手がそのことを知りたいかどうかについては十分気をつける必要がある。
 責任は半々とは言えないにせよ、一方でバラされる側の怠惰が原因のこともある。猛烈な興味を持ってやっているのではなく、何となくやっつけ仕事でゲームを進めているときはゲームに長い時間をかけることが無駄に思えてくる。このことは結局楽しみを減退させているのだが、一種のズルをして近道を知ってしまうことがよくある。この最たるものが改造コードによる度を越えた強化だろう。これは「蓄積的喜び」を完全に無にしてしまう行為である。クリアはできるかもしれないが、そこで得られるものは何もない。こうして終わらせたゲームは決して面白いものとして印象に残ることはないだろう。自分でゲームをつまらなくしているのだから困った話である。その他、これはゲームに限った話ではないが、物語の面でも「まとめ」とか「忙しい人のための」とかで「要約」を手に入れようとする傾向は存在している。時間をかけなければ得られないものもあるということを肝に銘じておこう。

広がるネタバレ

 ネタバレが近年とりわけ危険視されるようになった原因として、ネットの普及による情報の氾濫が考えられる。今やどんなゲームでも発売後すぐにwikiが作られ、一人が発見した情報を全員が共有できるようになってしまった。言い換えれば世界が狭くなったことによって「第一発見者」の数が激減してしまったのである。これは取り返しのつかないことである。情報がどこかにあることを知ってしまった以上は、たとえそれらをシャットアウトしたところでもはや第一発見者の気分にはなれないのである。
 このことは前述の「発見的喜び」の減退を引き起こしている。そのため、近年のゲームがつまらないと感じられるならば、それはゲーム自体に原因があるわけではなく、もしかしたらゲームをとりまく環境のせいかもしれないのだ。
 これは明らかに技術の発展の弊害である。その分昔と比べて情報が集まるスピードは段違いであり、情報化のよい面も忘れてはならないのだが、そのことで必然的に発生する穴は埋めなくてはならない。

ゲームを楽しむために

 ネタバレの問題はあらゆる領域に潜んでいる。かく言うこのサイトも、最近になってようやく気付いたのだが物語と攻略両面でのネタバレの山である。情報を伝える側としては、なんとかこれを防ぎたいと思う。そのためにはまずネタバレの問題点を知ってもらいたいと考えこれを書いてみたわけである。
 もちろんできることは他にもあるし、順次やらなくてはならないが、半分以上は自分に言い聞かせるつもりで楽しくプレイするための標語を作ってみた。
  1. 初プレイを大事にしよう
  2. 自慢はほどほどに
  3. 近道せず、たっぷり楽しもう
 これらを守るのは面倒なことであるが、その向こうには必ず面白いゲームが待っていると信じて、情報を伝える側も調べる側も情報交換をしてほしい。

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