一般呪文学講義 前編


「マピロ マハマ ディロマト」

この呪文を知っている人間も、今やどれだけいるだろうか。
かつて日本人は呪文を知っていた。しかし今やそれは過去のこと、全ての神秘は失われつつある。
今回は、失われた呪文について探り、ゲームのもたらした言語学的貢献を考えてみることにする。
がしかし、その法則は空想の世界だけではなく、日常生活の中にも関わってくるものなので、どなたにも読んで欲しい。

20世紀の理論では、言語と文化は切り離せない存在である。
つまり人のグループが遠くに離れて生活様式が変わると、言語はそれに合わせて変わってしまう。
むしろ、言語(ここではそれを使用する人が思い描いているもの、いわゆるラングのことを言うが)の違いが文化の違いそのものなのである。
例えば英語のbrotherには年上か年下かという区別はない。elder brotherはbrotherがあって始めて存在する二次的な言葉である。それに反して日本語は「同じ親から生まれたもののうちの、男」という存在を指す言葉がなく、代わりに兄と弟がある。
これはつまりその言葉の指すものの要求される頻度によって語の存在が決まるのである。
つまり英語を使う文化では「同じ親から生まれたもののうちの、男」の年齢を考えることがあまりないから上か下かの区別がいらない。日本ではそれを気にするのである。
これは、どちらの文化が優れているかというのではない。どちらの文化の方が語彙が多いということもない。げんにbrotherを説明するのにこんなに長い日本語が必要ではないか(「兄弟」という訳でいいでないかと思う方もいるかもしれないが、この語は現在では複数人のbrotherを指すことにしか使わない。辞書はあまり信じられるものではない)。
基本的に英和辞書を引いて訳語が妙に長いものは日本語にない、もしくはあまり必要とされない概念を説明している言葉である。例えばdueなんかが良い例だ。語と語が一対一対応をするなどと思う方がおかしいのである。
職業の名前も参考としてわかりやすい。「女弁護士」などの語が「女」を必要とするのは前提として「弁護士」は「男の」という意味が内包されていて、それは弁護士は男がなるものである、という概念を表しているが故に、この表現は攻撃されるのである。英語の「chairman」などは語にmanが含まれているからわかりやすいが、その言葉がないからといって差別がないわけではないのがわかるだろう。

さて、これらの説明である程度は、文化=言語だということがわかってもらえたかと思う。この前提から導けることに、文化が伴わないで、言語だけ作ろうとするのは無理であるということがある。母国語、つまりある地域で当然のように使用される言語、にならない言語が存在するのは難しい。
これは言い換えると周囲の文化が変化しないのに言語は変わりません、つまり日本にいる限り英語は(周りの日本文化に影響を受けて)どんどんできなくなっていきますよ、という英語教育の最大の問題をも説明しうる。

この辺からファンタジーの話に入る。さらにこの法則を逆にすると、言語が違っていればそこは別世界、言い換えて別世界を作りたかったら言語を変えればいいということになる。
しかし全ての言語が未知のものだったら体験者は理解できない。そこで一部を変えればよい。それは多くの場合登場人物の名前であり、ファンタジーにおける魔法の呪文であるのだ。
それゆえ、絵によって想像力を喚起しづらい小説や初期のゲームのファンタジーをファンタジーたらしめているものはこの二つである。
そのうち今回取り扱う呪文だけを取り出して言おう。ノートにでも書きとめておくといい。

『呪文の言葉は、ファンタジー世界を表す鏡である!』

これをふまえて呪文の諸パターンを探る前に、もう一つしなければいけない回り道がある。簡潔に言うと、「呪文とは本来使用者の最もポピュラーな言語で唱えられるべきである」ということだ。
考えてもみて欲しい。「アブラカタブラ」がそうだし、エリファス・レヴィから「ネギま」に至るまで、魔法の呪文はラテン語かヘブライ語で唱えるのが正式とされている。
が、それは単に昔の魔法使いがそれらの言語を使っていたのを盲目的に反復しているだけである。 自然の精霊を呼び出して力を得るなり、悪魔を呼び出すなりするとして、呼び出される方が日本語を解さずにラテン・ヘブライ語を理解するのはどういうことだ?彼等はラテン・ヘブライ語を使っていた地域で育ったというのか?自然界にあまねく存在するものならもっとユニバーサルな言語を使うはずだ(そんなものはないが)。
だいたい、呼び出したあと召喚者の言葉で用件を伝えられるというのは全く都合のよい話である。「悪魔会話・とっさのひとこと」などの本が必要だ。

要するに筆者が言いたいのは、呪文を口にするものがその意味を理解しなければダメということだ。 結局実際に効力のある呪文とは催眠術のようなもので、「眠くなーる」というから眠くなり、「悪魔が見えーる」というから悪魔が見えるのだ。
ここで重要なのは、その語の意味を本人が了解しているかどうかである。別にラテン語を知っていればラテン語でもいいのだし、「ソコルディ」に悪魔召喚という意味があると本人が思っていればそれが普遍的言語として存在していなくとも、「ソコルディ」と唱えれば効果はある。
ちなみに特定のオカルトに限らずとも、「意味のある言葉を発するとその通りになる」という一種の魔術の考えは、世界中に存在している。
日本ではそれは「言霊」と呼ばれている。「シ」という音が不吉だから口に出すのは避けましょう、というのがそれだ(今や、しょうゆ→むらさきなどの言い換えはポピュラーではないが)。ギャンブル場へ行ってみるといい。ゲンかつぎという名の言霊信仰が氾濫しているはずだ。

ここまでは理解できただろうか、まとめると、
@言語は文化と共に変化するもの
A「呪文はファンタジー世界の鏡だ!」
B呪文の発話の際の意味理解の必要性
ということになる。これらの法則を使って、個々の呪文を分析していくが、
だいぶ前提に手間取ったので、それらは次回にまわすことにする。
ドラクエが発明した最も素晴らしいものは、その呪文だったのだ。

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