ゲーム評価法の探究
〜よい点を発見するということ〜

ゲームというのは、ただプレイしたらおしまいではない。プレイして得られた感想を自分なりにまとめて、人に伝えるのも大事なことだ。
そんな、ゲームに必ずついて回る評価に関して、それを積極的に行っていくにはどういう心構えで望んだらいいのか、ということをいくつか考えてみた。

評価の必要性〜「人それぞれ」を越えて

何かを評価することは、とても難しいことである。その主な理由は、評価には必ず個人の主観がついてまわるからだ。さらに、いわゆるネガキャンの問題のように、何かをほめたりけなしたりすることには利害関係も絡んでくるし、それが対立のもととなったりする。
こうした理由から、意見の対立を避けるために、お互いの立場を尊重しましょうという、「人それぞれ」の姿勢をとることは有効な解決策の一つである。
しかしこれは、評価の楽しみを放棄することでもある。何にせよユーザーができることの一つが、自分のゲーム体験を何らかの形で伝えることだからだ。
では、この「人それぞれ」から出発して、どのような形でゲームを評価していけばいいだろうか。

面白さの「発見」としての評価

こうした状況から導かれた結論は、このように考えることである。
面白さやつまらなさはそこに「ある」ものではなく、ユーザーが「発見する」ものだ。
もちろん名作を名作たらしめているような、誰もが発見できる面白さというのもある。しかしそうしたシンプルな「名作」「駄作」の決定というのは、むしろレビューサイトのような大勢の人による採点で決められるものであり、個人の寄与できる余地はない。
だが、集団による評価で形成されたイメージ、「バハラグならヨヨ」「ライブならあの世でわび続けろ」といったイメージは、よくも悪くも一面的であることが、ある程度その作品が好きな人ならわかるはずだ。
そこで、個人ができることはこのようなイメージに挑戦し、大局的な視点では見過ごされてしまう面白さを発見して、伝えることなのではないだろうか。
これは、悪い点に目をつぶれと言っているわけではない。良い点と悪い点を併記することは、その評価の説得力を増す上で重要であり、実際健全なレビューサイトは全てこのようになっている。
ともかく、ここでは一個人として作品の未発見の面白さを見つけて、広めることをゲーム評価の課題として挙げたい。

点数性評価の難点

では、その肝心の評価はどのように行なったらいいだろうか。よくある評価サイトを参考にすると、そこでは「オリジナリティ」「サウンド」「グラフィック」「熱中度」といった要素に区分され、それぞれに点数がつけられるようになっている。
確かに、単に「いい」「わるい」ではなく、いくつかの要素に分けて評価できるようにしている点は重要である。しかし、ここにはいくつかの難点がある。
まず、個々の点数の基準が明確ではない。ある人にとっての3点と、別の人にとっての4点が同じ意味をもっていたとしたら、基準がバラバラになってしまう。
いくつかのサイトでは「今までで一番面白いと思えるソフトが5点」などの方針を立てているが、いずれにせよ個人差は埋まらない。それが五本目か百本目かで結果が全く変わってしまうからだ。
もちろんこのことは、あらゆる定量的統計につきものの話であるために、今さらどうこう言うべきものではない。統計上は、数値がどうあろうと数さえ集まれば一つの説得力のあるデータになりうるのである。
また、見るほうとしてはその数値、たとえば「4.1点」とかが実際どういった意味があるのかがわかりづらい(十年に一度の点数とか、そうした基準がない限り)。
大事なのは、数値評価はもっとも簡潔で伝わりやすい反面、その伝えられる内容や正確さには問題があることを理解することである。

要素別評価の難点

評価サイトのもう一つの難点は、点をつける要素のほうもまた曖昧なことである。
例えばあるサイトでは「オリジナリティ」「グラフィック」「音楽」「熱中度」「満足感」「快適さ」の六つで評価していたが、ストーリーはどこで評価すればいいのか。あるいは「ガルガルやろうと いいおんなと どっちがすきだ?」とか「私が町長です」といったセリフの面白さはどこに書いたらいいのか。
ここからわかるように、要素別に取り出すにせよ、その取り出し方が中途半端ではちゃんと評価はできない。ヘラクレスの栄光3のような、ストーリーだけは異常にいい作品もこのサイトではひどい点になりそうである。
このことはさらに、「発見型」評価の際には、普段見落とされやすいような点にも気をつける必要があることを意味している。例えば効果音はゲームを構成する重要な要素だが、ここに注目しているものはとても少ない。
それは、個人の好みの問題もある。グラフィックを重視する人や、ストーリーを重視する人、はたまたゲームシステムを重視する人もいて、めいめいが好きなところを見るからだ。
このような偏りを個人から取り去ることはできないにせよ、それに気づいてもらうようにすることはできる。つまり、別の視点での楽しみ方も存在するということを伝えるということだ。これも一つの発見といえる。
そのためにはまず、ゲームの構成要素を隅から隅まで把握する必要がある。

そこで次には、ゲームの構成要素をなるべく詳細に分解してみよう。

→次回「ゲームの構成要素分析」に続く

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